沖縄が「しまくとぅば(沖縄の島言葉)」ブームに沸いている。

 昨年末、現地に行って驚いた。那覇のホテルの朝食卓には「ちかてぃ くみそーち にふぇーでーびたん」(ご利用頂きありがとうございました)の札、道には「あわてぃーるなか、よんなーどー」(急いでいるときこそ落ち着いて冷静に対処せよ)の交通標語旗がはためき、県庁棟には「やーち」(8階)、トイレ前には「うぃきが」(男)と「うぅなぐ」(女)の表示があった。

 25年前、初めて沖縄を訪れた。目についた沖縄語は「めんそ-れ」(いらっしゃい)、「ハイサイ」(やあ!元気?)程度だった。

 変わったきっかけの一つは、2009年、国連教育科学文化機関(ユネスコ)が、沖縄県内の5言語(与那国語、八重山語、宮古語、沖縄語、国頭語)を「独立した言語」と認定し、消滅の危機にあると発表したこと。地元紙・沖縄タイムス14年9月18日付によると、13年の全県意識調査で、県民の8割が「しまくとぅばに親しみを感じている」と回答したが、日常的にしまくとぅばを「主に使う」のは、70代の39%に対し、若年層の30代で3%、20代で2%。研究者は「このままでは消滅は時間の問題」と警鐘を鳴らした。

 国連の委員会も日本政府に対し、08年、14年に「琉球・沖縄の文化に関する教育を導入すべきだ」「琉球語を消滅の危機から守る施策を加速せよ」とそれぞれ求めた。

 文化庁も10年、琉球大や国立国語研究所などに委託して緊急実態調査を行い、県も13年、地域の言葉を奨励する全国初の条例「しまくとぅばの日条例」(06年制定)に基づき、しまくとぅばを使う県民を10年間で3割増やす普及計画をたてた。

●異端視と差別、標準語礼賛の果ての沖縄戦

 中近世、琉球王朝は独自の文化を育み、中国の王朝と約450年間、独自の外交を展開した。
 しかし、1878年、明治新政府は琉球王朝の外交・施政権を取り上げて、沖縄県を置く「琉球処分」を画策。清に「日本は中国内地での欧米列強各国並みの通商権を取得する」かわりに「沖縄本島以北は日本領とするが、清が宮古・八重山の土地・人民を一括して受け取る」という「琉球分割条約」案を提示した。沖縄人の猛反発で調印1週間前に頓挫したが、日本政府が沖縄を外国に渡そうとした事実は消えず、沖縄の人が日本政府に不信感を抱く出発点になった。

 琉球処分後、「日本語をしゃべれない日本人」となった沖縄人は異端視され、差別された。


 現在、国内にある米軍基地の約4分の3が集中する沖縄県だが、太平洋戦争直前の41年夏までは全国で唯一、常駐部隊も軍事施設もない県だった。