二つの大戦の間に描かれた顔でいつまでも心に響いている絵があります。描いた画家はパブロ・ピカソとジョルジュ・ルオー。日本でもよく展覧会が開かれている二人。ともに両大戦をまたいで絵を描き続けました。顔はキャンバスに大きく描かれています。

 ピカソの絵は「泣く女」。母国スペインのバスク地方の町ゲルニカがドイツ空軍の無差別爆撃にあって壊滅させられた1937年に描かれました。鮮やかな色彩で分割された面輪に大粒の涙が流れ、悲しみの面立ちは個人の思いを超えて人類の慟哭(どうこく)を訴えているように見えます。

 フランスの画家ルオーの絵は「道化師」。ピカソの絵と同じ頃に描かれました。面長の面輪に深い憂いを秘めた面差しで再び戦争に突入していく世相を見つめています。いえ、目を伏せているのですが、じっと見つめられているように感じます。宗教画を多く描いたルオー。道化師の顔はキリストの面影を宿しているようにも見えます。

 顔は心を映し出す。古く万葉の歌人にも顔は心の機微を表現する大切な要素でした。ただ、そのころの人の顔を表す言葉は「おも」「おもて」。いまでは「おも」(面)は語を構成する一部として多く残っています。面輪、面立ち、面長、面差し、面影、面変わりなどです。また、赴く、趣は、面向く、面向きが原義だといいます。顔が向かうことと考えると言葉に趣が出てくる気がします。

 万葉集には人の顔を表す「かほ」も3度出てきます。「万葉集歌のことばの研究」(佐々木民夫著)によると、「かほ」は「顔面の最も目立つところに焦点を当てた」言葉で、「おも」は「外部に、表面にはっきりとその表情があらわれ出る人の顔・顔面の、全体的形象を捉え歌った歌のことばとしてあるといえる」ということです。

 そんな万葉集で5首に詠まれた「あさがほ」。山上憶良は秋の野に咲く七種(ななくさ)の花を「萩の花尾花葛花なでしこの花をみなへしまた藤袴朝顔の花」と歌っています。この朝顔、実は今のアサガオではありません。そのころまだ日本にはアサガオは渡来していなかったからです。大言海によると「あさがほ」とは「朝の容花(かほばな)の意」。「かほばな」とは美しい花を意味します。万葉の時代に詠まれた朝顔とはキキョウのことだといいます。

朝顔の名を継いだ花は

 朝顔はムクゲのことを指すようにもなります。平安時代になって南方原産のアサガオが中国を経由して、当初は薬草として日本に入ってきたようです。種に下剤、利尿剤としての薬効があります。アサガオの漢名は「牽牛子」。牛を牽(ひ)いていって交換してでも欲しかった薬ということでしょうか。「けんごし」「けにごし」と読まれていました。

 平安も時代が進むと、朝顔は今のアサガオを表すようになりました。「枕草子」には、趣深い草の花として、なでしこ、をみなへし、桔梗(ききょう)の次に、あさがほが挙がっています。「源氏物語」の巻名になっている朝顔は光源氏のいとこにあたる女性で、源氏は自邸の庭に咲いていた名残のアサガオの花を添えてこの姫君に和歌を贈っています。「見しをりのつゆわすられぬ朝顔の花のさかりは過ぎやしぬらん」(かつて会ったおりのあなたのことが忘れられません。あの朝顔の花の盛りは過ぎてしまったのですか)。「いえ、そんなことはありません」と源氏は伝えたかったのでしょうか。