就活「後ろ倒し」の周辺で(ことばの広場+)

 去る5月中旬、就職活動中の学生向けに、朝日新聞社で校閲センターの仕事内容を紹介するイベントを開きました。学生に「夜勤の時は何時に起きますか?」や「仕事をしていてうれしかったことはありますか?」など、たくさん質問も受けました。熱心にメモをとる姿に自分が就職活動をしていた時のことを思い出しました。

 参加者は2016年3月卒業・修了予定の学生や大学院生が中心。就活の早期化で学業に影響が出ているとして、政府は13年に企業に対して選考時期の「後ろ倒し」を要請し、経済界が受け入れました。その結果、例年5~6月が多かった内々定を出す時期が、8月以降にずれこみますが、内定の解禁は10月1日で従来と変わらないため、企業も学生も短い期間に集中して筆記試験や面接をしなければならないようです。
 
 この「後ろ倒し」という言葉、13年4月に安倍晋三首相が経済成長戦略スピーチで「(就職活動の)スケジュールをうしろに倒し」と話したこともあり、頻繁に登場するようになりました。最初にこの言葉を見たときは「前倒しはあるが、後ろ倒しは見慣れない」と違和感が大きく、「先送り」や「先延ばし」などと言い換えられないか、記者に提案したこともありました。しかし、その後は一般に定着し、今はそのまま使ってしまっています。

 複数の辞書を引いてみると、見出し語として掲載しているのは「大辞泉」(2版)。「前倒し」の項の中で、反対語として載せているのが、「三省堂国語辞典」(7版)です。「広辞苑」(6版)と「岩波国語辞典」(7版)にはありませんでした。三省堂国語辞典の編集委員の飯間浩明さんによると、7版の編集作業をしていた13年に、載せるかどうか話題にのぼりましたが、「日本語の乱れではないか」と指摘する報道機関もあったため「定着するかどうかわからない」として、見出し語にするのは見送ったそうです。その後2年たって「こんなに急激に定着するとは思いませんでした」と話しています。もしかしたら、次の版では見出し語に「出世」するかもしれない、と聞いて言葉というのは日々変化していると実感しました。

言い出したのは誰?

 「岩波国語辞典」の「前倒し」の項には「『繰り上げ』でも済むのに、一九七三年ごろに官庁俗語として現れたのが、広まった語」と注釈があります。「前倒し」もせいぜい40歳といったところで、もっと昔からの言葉だと思っていたので、驚きました。いわゆる「お役所言葉」だったということです。ならば「後ろ倒し」はどうかと調べてみると、国会議事録では公共事業に関連して1979年に登場していました。やはりお役所の業界用語なのでしょうか。同じような時期に生まれた二つの言葉ですが、後ろ倒しが一般社会に定着したのはごく最近のことです。

 昨年、後ろ倒しをテーマにした本も出版されました。「就活『後ろ倒し』の衝撃」(東洋経済新報社)です。筆者はリクルートで採用を担当していた、人材コンサルティング会社「人材研究所」の曽和利光社長。曽和さんに企画を持ち込んだ編集者は、「『後ろ倒し』という言葉に違和感があったせいか、時期が遅くなるということはきちんと認識していたのに、最初の企画書には『前倒し』と間違えて書いていた」と振り返ります。