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カオスの深淵 立ちすくむ税金

立ちすくむ税金
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立ちすくむ税金
物欲を税で抑える幸せの国

  税金をどう集めて、どう使うか。それは、どんな社会を実現したいかによって変わる。しかし、グローバル化のなかで、税金は社会にさまざまな形を与える力を失いつつあるのではないか。

買う悦楽に目覚めた国 ブータン

 ふくらむ欲望を増税によって抑え込もうと、もがいている国がある。「幸せの国」で知られるブータンだ。
 標高2300メートルの首都ティンプー。5月末から6月半ばに訪ねたヒマラヤの山すその街は、政府が引き上げを打ち出した自動車関連税の話題でもちきりだった。
 「40%アップはきつい。早く買わなきゃと慌てて来たんだ」。隣国インドの自動車メーカー「タタ」の販売店で、ビシュワさん(52)は税込み約50万ヌルタム(約75万円)の小型車の座り心地を試していた。
 購入時にかかる現行税率は最大50%。上乗せが実現すれば90%になる。観光客向けの風景画を描くビシュワさんの月収は2万ヌルタムほど。現状でも年収の2倍の買い物だ。妻のインドラさん(52)は「親戚からお金を借りてでも、いま買わないと」。
 大型増税の狙いは、車の急増にブレーキをかけることだ。国内の登録台数は5年前に比べ倍増し、6万5千台を超す。人口70万人の小国にとっては激変だ。
 「マイカー」が普及し始めて間もないため、市内に信号機は存在しない。交通事故の犠牲者は昨年初めて100人を超えた。朝夕のラッシュ時、数年前まではなかった交通渋滞も生じるようになった。
 車だけではない。市内には2月、輸入品が並ぶ大型スーパーが開店した。2011年の国内の個人ローン総額は08年の3倍に拡大した。首都では郊外の田畑をつぶし、マンション開発が進む。
 「国民総幸福(GNH)」という独自のものさしを掲げ、公平さや環境に配慮した成長を模索してきたブータンで、いま、人々が買い物の魅力に目覚め始めた。

 「消費を抑えよう。収入が支出に追い付かない」。4月、ティンレイ首相は緊急テレビ演説で、国民に訴えた。理由は貿易赤字による外貨不足だ。ブータンは、車も家電も建材も、インドからの輸入に頼る。ローン頼みの旺盛な消費で、支払うインドルピーが底を突いた。政府は外貨をインドの銀行から借りてしのぐが、金利は10%に達する。
 以前の鎖国に近い状態から、テレビ放送やネットが解禁され、消費に火がついた。グローバル市場がブータンをのみ込む。
 精神的豊かさから、物質的豊かさへ。社会の変化に危機感を募らせるのは政府だけではない。国教である仏教界。首都の僧侶学校のツェリン校長(45)は「車や商品は現世だけのもの。来世には持って行けない、と説いているのだが……」と憂う。
 6月には、火曜日を「車に乗らない日」とする試みが始まり、人気の高い国王が自転車で市内を走ってPRした。
 とはいえ、目覚めた欲望を抑え込むのは簡単ではない。政府は昨年も自動車関連税を引き上げたが、効果は薄かった。今回の再増税について、タタの販売店で会ったビシュワさんは「高級車を何台も買ってきた金持ちにかけるのが先じゃないか」と不満を漏らす。増税への反発は強い。
 結局、開会中の国会下院は6月27日、「40%は高すぎる」として、大型車は20%、それ以下は5%と増税幅の縮小を決めた。消費抑制のために提案されたクーラーやビールなどへの増税も認めなかった。
 人々の消費欲を政府はコントロールできますか? 国会審議前にティンレイ首相に尋ねると、今回の結果を予想していたかのように、こう答えた。「できないさ。民主主義だから、最後は人々の選択だ。政府は国民に、立ち止まって考えるよう訴えるしかないんだ」

(文・西本秀 イラスト・原有希)

[ブータン] [ヌルタム] [ブータン国王]

 ヒマラヤ山脈の南側、インドと中国との間に位置する。国名は現地語では「雷竜の国」の意味。人口は70万8千人で、島根県とほぼ同じ。面積は3万8千平方キロで九州より少し小さい。
 南部の標高300メートルから、北部の7千メートルまで国土には高低差がある。首都ティンプーは標高2300メートル。日本から訪問する場合、タイのバンコク経由でブータン航空に乗り継ぐ。

 1ヌルタムは約1.5円。1974年に発行される前はインドのルピー紙幣が流通していた。物価の目安は、新聞1部5〜10ヌルタム、コーヒー1杯20ヌルタム、ジャガイモ1キロ25ヌルタム、トマト1キロ50ヌルタムといったところ。

 ブータンの英語名は「Kingdom of Bhutan」。1907年に現王朝の初代国王が統一した。国王親政だったが、2008年に憲法が制定され、立憲君主制に移行した。国王は元首で、ユニークな65歳定年制をとる。現在のジグメ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク国王は5代目で、06年12月に即位。昨年、一般家庭出身のペマ王妃と結婚し、夫妻で来日して、震災の被災地などを訪れた。

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