「夏にまたやろうや 甲子園で」 センバツ制した30年来の友へ
「おめでとう、よかったなあ。優勝監督って忙しいんじゃないの?」
「いや、ホテルの部屋でぼーっとしてるよ」
「そうか、夏にまたやろうや」
3月31日にあった選抜高校野球大会決勝の数時間後。おかやま山陽の堤尚彦監督は30年来の友人に電話をかけた。甲子園で初優勝を果たした健大高崎(群馬)の青柳博文監督だ。
1991年春、2人はそろって東北福祉大野球部に入り、仙台市内の同じアパートで暮らした。練習もアルバイトも遊ぶのもいつも一緒。当時、朝が弱い青柳監督を起こすのが堤監督の日課だったという。
主力が暮らす寮には入れない「通い」の身だった。「そこからお互い甲子園に出られる監督になれたのがうれしいですよね。あいつにできたんなら俺にも、って気になりましたよ」
青柳監督は健大高崎を強豪に育て、足技を絡めて得点機をうかがう「機動破壊」で全国に名をはせた。「本人は自分をよく会社の社長に例えるけど、ブランディングに成功したわけです」と堤監督。すごさは「頼りないところ」と独特の表現をする。「この人独りじゃ無理だと、助けにくる人が自然と集まってくる。人徳ですよ」
2人そろっての甲子園出場はまだない。昨夏は山陽が岡山大会で優勝した同じ日に、健大高崎は群馬大会準決勝で敗退。それを知って「ええええええ~!」と心底がっかりしていた堤監督。昨秋はおかやま山陽が県大会準々決勝で敗れた。「夏にまた」はもちろん「甲子園で会おう」だ。(大野宏)