■高機能繊維にかける
「アラミド繊維」をご存じですか。強くて軽く、熱にも耐えるスーパー繊維です。このアラミド繊維との出会いが、私のサラリーマン人生における転機になりました。
どんな素材なのか、もう少し説明させて下さい。アラミド繊維は、その分子構造からパラ系とメタ系に大別されます。
パラ系は、強さが鉄の8倍、軽さが鉄の5分の1。耐熱性や寸法安定性などにも優れ、防弾チョッキ、自動車のブレーキパッド、タイヤや、産業用のロープ、ベルトなど、様々な用途に使われています。
メタ系は、耐熱性や難燃性に優れ、耐熱フィルターや消防服などに使われています。もとは米化学大手のデュポンが開発しましたが、帝人も独自のアラミド繊維を開発。いまでは帝人の主力事業の一つに成長し、とくにパラ系ではデュポンと世界シェアを2分しています。
さて、人生の転機になった話に戻ります。名古屋工業大学の繊維工学科を卒業した私は、帝人に入社後、研究所を振り出しに技術者の道を歩んでいました。ところが、入社18年目の39歳のとき、突然、産業資材販売部への異動を命じられました。
初めての営業でしたので、面食らいました。しかし、くよくよ考えても仕方がない、一つやってみるかと、気持ちを切り替えました。
はじめは不織布用途のポリエステル短繊維を売って回りました。営業といっても、単に売り込むのではなく、何を困っているのか聞き、解決策を提案する、いわゆる開発営業を心がけました。
◆集大成のテクノーラ事業
そうこうするうち4年近くが経ち、おもしろさが分かってきたころ、「MH―50」という高機能繊維の開発班に異動となりました。これが帝人の開発したパラ系アラミド繊維「テクノーラ」です。
当時は43歳。繊維加工技術の開発をはじめ、メキシコでの勤務、子会社の技術部長から営業まで、色々な経験を積んできた。その集大成として、テクノーラ事業に賭けてみようと腹を決めました。そして、2年後の1987年、テクノーラの事業化が決定しました。
事業化したといっても、当時はまだ年間10億円くらいの赤字事業です。まずは、黒字化に目標を定めました。いったん目標が決まると、どんなに働いても苦になりません。土曜出勤は当たり前。日本国内だけでなく、欧米や韓国、台湾などを飛び回り、何千社にも売り込みました。海外に出張すると、1カ月は日本に戻ってきませんでした。
とくに他社製のアラミド繊維を使っている企業には、徹底的に足を運びました。テクノーラにはこんな優れた性能があり、御社の製品にこんな貢献ができますよ、といった具合に提案を行い、市場を開拓するのです。すると、少しずつ需要が高まり、業績も上向いてきました。
◆10年後に黒字化を達成
53歳でテクノーラの事業部長に就くと、19億6千万円で製造設備の増設を決めました。当時の安居祥策社長に「20億円までは権限を与える。どんどん自分で決め、責任を持って進めろ」と言われていたので、さっそくその権限を使ってみました。自分で育てた事業への投資を自分の権限で決められる。こんな楽しいことはない。
そして、事業化から10年後の97年、ついに黒字化の目標を達成しました。
さらに事業を強化しようと、今度はオランダのアクゾノーベル社が手がけていた「トワロン」というアラミド繊維事業の買収に乗り出しました。テクノーラの10倍に相当する事業の買収です。交渉は難航したのですが、いろいろな状況変化もあり、3年がかりで買収に成功しました。最後に欧州委員会からEU競争法(独占禁止法)上の承認を得たのは、2000年12月29日。帝人の欧州駐在員が祝杯をあげようとしたら、どこも店が開いていなかったそうです。
帝人は1918(大正7)年、日本初のレーヨン繊維メーカーとして創業しました。レーヨンはパルプを原料とする絹のような繊維で、「人造絹糸」とも呼ばれました。帝人の旧社名は「帝国人造絹絲(けんし)」です。しかし、ナイロンやポリエステルといった合成繊維に取って代わられるなか、62年に社名を「帝人」へ変更。71年にレーヨン繊維事業から撤退しました。
◆変化する繊維
その合成繊維も、衣料用は中国などの安い製品に押され、価格では太刀打ちできない時代に入りました。帝人はナイロン事業も手がけていましたが、私が社長だった02年に撤退しました。帝人がいま、アラミド繊維や炭素繊維のような高機能繊維に力を入れる背景には、こうした歴史があるのです。
産業用の高機能繊維や特殊な繊維は、研究開発に多くの時間を要します。こうして開発された製品は、簡単にまねすることができません。ポリエステル繊維においても、一般的な衣料用の素材ではなく、超極細繊維である「ナノファイバー」などが有望です。髪の毛1本の7500分の1の細さですので、肌に触れる面積が大きく、滑りにくいという特徴を持っています。すでにゴルフの手袋やブラジャーなどに使われているほか、保湿性にも優れることから美容製品のフェースマスクにも使われています。
いま注目されている炭素繊維は、その特性から最新鋭の航空機のかなり多くの部分に使われるようになり、自動車にも用いられ始めました。今後は量産車への採用も期待されており、帝人は自動車メーカーと共同開発を進めています。
繊維は常に変化しているのです。(聞き手・永田稔)