〈仕事のビタミン〉岩田喜美枝・資生堂副社長:3

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新作の口紅を試す岩田喜美枝・資生堂副社長=東京・銀座のSHISEIDO THE GINZA、細川卓撮影

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資生堂の今年の正月広告

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岩田喜美枝(いわた・きみえ)1947年生まれ、香川県出身。東京大学教養学部卒業後、71年に旧労働省(厚生労働省)入省。男女雇用機会均等法制定に携わる。雇用均等・児童家庭局長を退官後、03年に資生堂常勤顧問に。08年から女性初の同社副社長。細川卓撮影

■化粧の力

 東日本大震災を経験した昨年は、日本人にとって忘れることができない年となりました。本年は、平穏無事な年になること、また、被災地の復興が確実に前進することを祈りながら、新年を迎えました。

 年の始まりにあたり、自分の仕事の意味を改めて考えてみました。私は化粧品メーカーに勤務していますので、化粧をすることが人々にとってどのような意味があるかについて書きたいと思います。

 化粧は人類の歴史とともにありました。現代では化粧は専ら女性のものと思われがちですが、それは明治時代以降のことであり、それ以前、男性は女性以上に化粧をしていたという説が有力です。

 顔や体に赤い入れ墨をして宇宙との一体感を得た古代人、富や階級を示すために化粧をした人、敵に首を取られても恥ずかしくないよう戦いの前に化粧をした戦国の武士たちなど、化粧がそれぞれの時代において持つ意味合いは様々でした。近年では、特に女性にとって、肌や髪を整え、美しく装うことが特別な意味を持ってきたことは、言うまでもありません。

 個人的な体験を振り返ると、化粧との最初の出会いは、中学1年生になった時です。「中学生になったのだから、これからは化粧水をつけなさい」と母から贈られたのが資生堂の化粧水でした。母が自分を一人前の大人として扱ってくれた気がして、とてもうれしかったです。それからは朝夕の洗顔の後のスキンケアは私の生活の一部となりました。

 労働省(現厚生労働省)で働いた32年間、メーキャップについて関心がなかったわけではありませんが、目の前の仕事や育児、家事に追われる毎日でしたから、メーキャップはいかに短時間ですませるか、が私の課題でした。

 それでも、大事なプレゼンテーションの前や、難しい折衝に出かける前には必ず化粧室で口紅を引き直していたことを思い出します。当時は無意識でしたが、これは自分を奮い立たせるための行為であったように思います。そういう時には、いつもより濃い色の口紅を引くことで、自分に「力」を与えてきました。

◆化粧で外見を美しく、内面を元気に

 化粧が人にとっていかに大事なものであるかを実感したのは、資生堂に入って高齢者施設を訪問し、無料で美容セミナーを行う社会貢献活動に参加した時です。無表情、無口であったお年寄りが、化粧をすると満面の笑顔になり、冗舌になるのです。

 「もう一度、お嫁に行かなければ!」。これは、化粧をして気分が高揚したお年寄りの女性たちが必ずと言ってよいほど口にする言葉です。最初は遠巻きに見ている男性たちもいつの間にか近づき、ハンドマッサージやヘッドマッサージをしてもらって、うれしそうなお顔になります。化粧は外見を飾るだけではなく、人の心に働きかけ、気持ちを朗らかに、元気にするものであることを実感しました。化粧によって元気になるのは、お年寄りだけではありません。この活動に携わる資生堂の社員も元気をいただいています。人間の活力を高める化粧の力を実感し、自分の仕事に誇りを感じるのです。

 化粧には、高齢者だけではなく、すべての人に元気を与える力があります。私はこれまでに、病院、障がい者施設をはじめ、刑務所から出所してきた人が社会復帰のためにしばらく生活する更生保護施設、夫のドメスティックバイオレンスから逃げてきた母子などが生活する母子生活支援施設、また東北の被災地でも化粧を通じた社会貢献活動を体験しました。

 さまざまな困難を抱えている方が、一時でも、晴れ晴れとしたお顔になるのを目の当たりにして、大変うれしく思いました。今年は、被災地の仮設住宅で生活している女性や児童養護施設を巣立つ高校3年生を対象にした活動に参加する予定です。

 児童養護施設には、色々な事情で親と離れた子どもたちが暮らしています。両親や兄、姉から、身だしなみの整え方などを教わる機会もないまま、社会に出て、自立していくことは本当に大変なことです。そんな子どもたちにメーキャップやネクタイの結び方など、社会人としての身だしなみの基本を学んでもらうための活動が、新しい一歩を踏み出す皆さんへのエールになれば、本当にうれしく思います。

◆「いまだから、わかる」に込めた思い

 当社は今年で創業140年を迎えました。この140年の間、当社が事業を通じて世の中のお役に立ててきたのは、化粧にすばらしい力があったからだと思います。これからも、その力で人々が心身ともに美しく元気になることのお手伝いをしたい、そのような私たちの気持ちを今年の正月広告で表現しました。

 コピーの中に「いまだから、わかる。化粧水が満たすのは、肌だけじゃない。口紅ひとつで、たちまち空気はあかるくできる。」とあります。「いまだから、わかる。」と言うのは、東日本大震災を経験した今だから、という意味です。

 被災地で多くの社員が、避難所や仮設住宅での生活を余儀なくされている方々に化粧品を届け、マッサージやメーキャップのサービスをしました。化粧には、人々を元気にするだけではなく、非日常を日常に戻す力があることが今回の経験で改めてわかりました。

 次回はアートについて書く予定です。

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