〈仕事のビタミン〉山田昭男・未来工業相談役:1

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山田昭男(やまだ・あきお) 未来工業相談役。1931年中国・上海に生まれる。旧制大垣中(現大垣北高)を卒業後、父の経営する山田電線製造所に入社。65年、劇団「未来座」の仲間と未来工業を設立し、社長に就任。00年から現職。高橋雄大撮影

■「未来せんべい」の原点は差別化

 日本の風潮につい疑問を感じてしまうことが、最近よくある。

 例えば「リーマン・ショック」だ。2008年秋に米国の証券業界4位のリーマン・ブラザーズが経営破綻(はたん)した。「次はどこがつぶれるかわからない」という疑心暗鬼が世界の金融市場に広がって、銀行などの資金調達が混乱した。ひいては、世界的な景気後退を引き起こした。あの出来事だ。

 しかし、よく考えてみると、日本では一体どの企業が、リーマン・ショックで直接、倒産したのだろうか。なかなか見えない。

 日本の輸出メーカーはその後の景気後退で世界中の消費が落ち込み、軒並み売り上げがダウンした。しかし、それは日本は貿易立国なのだから、当然のことだろう。

 なのに、いつの間にか、日本のデフレの原因までがリーマン・ショックと言われるようになったように思う。「リーマン・ショック」は今や病院の看護師さんから、隣家の老婆までが口にする決まり文句だ。

 いまの日本の経済情勢をすべて「リーマン・ショック」のひと言ですませるのは、おかしくないだろうか。

◆スローガンは「常に考える」

 こんなことをつらつらと書いてきたのは、私の会社のスローガンが「常に考える」だからである。

 申し遅れたが、私ども未来工業は岐阜県大垣市内に本社を置く、建築用の電気資材メーカーである。製品数は約2万点。給排水設備やガス管を収納・保護するカバーなど水道やガスの資材もいくつか手がけているが、メーンは電気資材だ。特に電気スイッチやコンセントの裏側に埋め込まれた「スイッチボックス」の国内シェアは8割にのぼる。

 経営の基本姿勢は「差別化」。徹底して同業他社とは反対のことを考え、反対のことをやる。もっとも全く正反対のことなど出来ないので、ここでの「差別化」とはちょっと違うことを考え、ちょっと違うことをやるという意味だ。

 一例を挙げる。本社には見学のために1日平均1.5組の団体さんがお見えになる。その見学者に出すお茶菓子は「未来せんべい」だ。地元・大垣名物のみそ入りせんべいで、市販されていない。世界中でここにしかなく、見学者にしか差し上げない。「何度でも出すお茶菓子をも差別化しよう」との思いから生まれた。

 社員の定年退職でも差別化を重ねてきた。かつては多くの企業の退職日が「60歳の誕生日」だったのに対し、当社は「61歳の誕生日の前日」としていた。実質的に他社より1年間長く働けるようにしていたというわけだ。 

◆定年は70歳

 現在は、多くの企業が定年を65歳に引き上げて「65歳の誕生日」になっているが、当社は定年を70歳に引き上げて退職日も「71歳の前日」としている。つまり、他社より6年間も長く働ける。

 差別化は給与面でも同じだ。大抵の企業は60歳から65歳までは、給料を半分程度に引き下げたうえで再雇用する。これに対し、当社は60から70歳までは給料を下げることなく、現状維持としている。

 未来工業がここまで来たのも、「常に考える」を徹底して、「差別化」につなげてきたからだ。日本人は元々農耕民族だから「右へならえ」の性格が強いのかもしれないが、そんな付和雷同はやめて、自分のアタマで考え、自分の足で立ちたいものである。

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