〈仕事のビタミン〉緑川賢司・ミナロ社長:1

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緑川賢司(みどりかわ・けんじ)1967年、横浜市に生まれる。高校を卒業後、しばらくフリーターをした後、木工所に勤務。いろいろあって自分で起業することに。町工場界の「カリスマブロガー」として、反骨心たっぷりに、ものづくりをする人たちの思いを伝えている。高波淳撮影

■製造業社長の逆襲

 日本は、ものづくり大国、といわれます。中小の製造業、町工場が、その屋台骨を支えています。そのことに異論をとなえる人は、あまりいないと思います。

 ですが、日本とは、僕たち町工場にたいして、ほんとうに冷たい国です。

 たとえば銀行。バブルのときには、どうぞどうぞと、お金を貸していました。町工場が、いらない、というのに、ああでもないこうでもない、と提案して、ほとんど無理やりに。そして、たんまり利ざやをかせぎました。

 なのに、バブルがはじけたら、おまえに貸した金をぜんぶ返せ、といってくる。勝手に、おまえの会社は潰れかかっているとか、潰れる懸念があるだとか、都合の良いように判断しやがって。

 

◆町工場に公的資金はありえない

 そんな銀行は、公的資金、つまり僕たちのカネを注入してもらって生きのびた。そして、銀行のお偉いさんたちは、あたりまえのような顔をしている。それを許している日本って、おかしくありませんか?

 ぼくら町工場は、公的資金を注入してもらうことなど、ありえません。それでも、コストをしぼりにしぼって利益をだします。そこから、納税しますよね。国の税金の使い道、納得できないんです。政治家さん、官僚さんたちが、自分たちのことばかり考えているとしか思えない。

 さらに、大手のメーカー。下請けいじめだけでも、ひどいものです。それでも、事足りないんでしょうねえ。安い人件費でモノがつくれる海外へ製造現場をもっていき、利益が出た出た、と喜んでいる。国は、そんな経営者たちを、財界のみなさん、と重宝している。

 だんだん腹がたってきました。冷たい国、財界、銀行、さらには、町工場を見下している方々、すべてに逆襲したい。そんな思いで、僕は「ミナログ」というブログを書いています。

 

◆2004年からブログをスタート

 題名をつけています。それは「製造業社長の逆襲」です。学研さんがまとめた2005年の「最新人気ブログランキング200」のビジネス部門で1位になりました。いまでも、たくさんの方に読んでいただいています。

 おっと、自己紹介を忘れていました。僕は、みどりかわけんじ、と申します。横浜で、「ミナロ」という会社を経営しています。

 えっ? 何をする会社かですって?

 おおくの方にはなじみが薄いかもしれませんが、木型とか治具などをつくっています。

 木型というのは、車とか船とか家電製品などのデザインを、ためしに形にしてみる仕事です。たとえば、1台何百万円もする車がありますね。その車体を、いきなり金属でつくると、時間もコストもかかります。このデザインかっこ悪いね、と判断したら作り直さなくてはならない。

 そこで木をつかって試作するわけです。ただし今では天然木ではなく、人工木材のケミカルウッドというのを使いますが、それが木型の仕事です。最近では、モックアップともいいます。

 治具というのは、部品をつくるときに必要な装置、設備、道具のことです。

 たとえば、部品を検査するための道具だったり、何千何万の部品に同じ加工をほどこすための受け皿だったり、それらをつくっています。

 注文をうけてからの納期が短く、単価も安い。忙しいわりには、ちっとも儲かりません。貧乏、暇なし、ハハハハハ。でも、従業員10人で、楽しく、一生懸命、仕事をしています。

 ブログの話に戻りましょう。僕は04年に書き始めました。いまは、ブログ花盛りですが、当時は、まだ始まったばかり。町工場でブログを書いている人など、いない。なので、僕の「ミナログ」は、その後、各地でかかれる製造業ブログのポータルサイト的な存在になりました。僕は本文中で、町工場のみんなに、元気と勇気と、ちょっとの笑いをあげたい、と心がけてきました。なので、あっというまに製造業ブログの先駆者になったわけです。

 自分のことを書くって、照れくさいですねえ。

 さて、僕がなぜ、こんなブログを書くようになったのか。次回から、それをひもといていきます。

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