2011年12月12日16時26分
■企業の誤解装置
ついに連載が始まってしまった。月2回のペースで6カ月、全部で12回も書くというのはなかなか大変な作業である。今になって気軽に引き受けてしまったことを後悔しても遅いし、子供の頃に夏休みの宿題を必ず休みの最後の晩まで持ち越し深夜まで呻吟(しんぎん)していたその経験に照らし、十分な事前準備をするべきであったと考えてももう遅い。流れのままに進んでいくしかないであろう。どうかおつきあいいただきたい。
◆ビジネスマンを勘違いさせる「誤解装置」
初回から変なタイトルになってしまった。「誤解装置」とは何か。企業で働くビジネスマンを勘違いさせてしまうきっかけである。
それは、名刺だったり、個室だったり、会議の席順だったりする。35年間にわたる大企業あるいは大企業グループで仕事をしてきた経験から、大企業は様々な「誤解装置」に満ちあふれているということが言えるように思う。
大企業は近世における一大発明であり、統制された大企業のダイナミックな活動が経済成長の原動力となってきたのも事実である。多くの人を雇用し、製造業であれば研究開発を行って新製品を市場に送り出し、売り上げを伸ばし利益を上げ、供給する製品やサービスによって社会への貢献を果たすと同時に利益に応じて納税する。そこに企業の「本質」がある。
ただ、問題はこのような「本質」の姿を追求していくためには「便宜」が必要であるということであり、その「便宜」から様々な問題は発生するということである。
会社には職制というものがある。指揮命令系統整備のための序列構造である。そこには、指揮命令系統における序列を明らかにする肩書やそれをあらわす名刺といったものが存在する。ここまではいい。
しかし、あくまでも会社内の指揮命令系統確保のための便宜的手段に過ぎない肩書や名刺が一人歩きすると弊害は大きくなる。便宜的手段に過ぎない肩書や名刺が人間関係における優劣までを支配するという事態になると、問題はさらに大きくなる。
◆名刺も肩書もいつかはなくなる
個室と閉じられたドアというのも一種の象徴である。閉じられたドアはコミュニケーションの拒絶であり、外から見えない世界の者が優位に立つという構造をあらかじめ確保している。
個室の主である役員と会話するためには、いきなりドアを開けるわけにはいかない。秘書を通してアポイントを入れ、時間の確約をもらってから決められた時間に入室する。中で何が起こっているか分からない以上、入室に際してはプレッシャーがある。中にいるランクが上の者が優位に立つ構造である。
見えない世界の権威が強化される。今日的には、文字通りのオープンドア・ポリシーや社内メールによる直接の会話も可能となり、環境は随分変わっているが、そもそも便宜には権威の強化という副作用がある。
会議における序列などもそうである。真ん中の席から、役職の偉い順に座るというのが一般的な会議のしつらえであろう。しかも指定席。その繰り返しによって、権威は強化される。
専用車や専用秘書といった存在も「誤解装置」につながりやすい。すべては、仕事をスムーズに進めるための「便宜」であるのに、「自分は偉い」という感覚は強化される方向に働く。世間と隔絶することによって、日常感覚は失われやすくなる。
役職の高い人ほど注意せねばならないだろう。「誤解装置」がそこかしこにあるということに。「便宜」はしょせん「便宜」である。「本質」は別にある。そのことを忘れてはいけない。
名刺も肩書も便宜的手段に過ぎない以上は、それを付された当人において、いつかはなくなるものである。だれしも普通の人間に戻る時が来る。いうまでもなく、職能的に優れていることは必ずしも人間的に優れていることを意味しない。
名刺や肩書がすべてなくなった時に何が残るか。私は、それが「友情」であれば素晴らしいと思う。今までは名刺や肩書が邪魔で本当のつきあいのしにくかった人たち同士が、普通の人に戻って人間として「友情」を温めあう。
自分はそうありたいと思う。