〈仕事のビタミン〉岩田喜美枝・資生堂副社長:1

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岩田喜美枝(いわた・きみえ)1947年生まれ、香川県出身。東京大学教養学部卒業後、71年に旧労働省(厚生労働省)入省。男女雇用機会均等法制定に携わる。雇用均等・児童家庭局長を退官後、03年に資生堂常勤顧問に。08年から女性初の同社副社長。細川卓撮影

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銀座への思いを語る岩田喜美枝・資生堂副社長=東京・銀座の資生堂パーラー本店、細川卓撮影

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復興を願い、銀座の街に輝く「希望の翼」=東京・銀座

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今年の正月の資生堂の新聞広告

■銀座と資生堂と私

 連載のスタートにあたり、まずは私自身のことをお伝えしたいと思います。1947年香川県に生まれ、高校卒業まで高松市でのんびり育ちました。

 東京大学を卒業後、当時、唯一女性が本気で働ける場所だと考えて、労働省(現厚生労働省)に入省しました。32年間の公務員人生で、男女雇用機会均等法の制定や待機児童ゼロ作戦など、私なりに全力を尽くしたと思っています。

 公務員生活を終えるにあたり、「今なら民間企業にも女性の居場所があるはずだ」と思い立ち、思い切って56歳で再び「就活」を経験しました。そして資生堂に入り、今年で8年になります。

 家では夫の母の在宅介護を手伝いながら、夫と暮らしております。2人の娘は、それぞれ別に暮らしながら、好きな仕事を頑張っているようです。

 このような私が仕事と生活を通じて体験してきたこと、いま感じていることを記すことで、少しでも皆さんの「仕事のビタミン」になれば幸いだと思っています。

 さて、第1回は、会社の紹介を兼ねて、「銀座と資生堂と私」について書いてみたいと思います。

●鎮魂と復興願う銀座のイルミネーション

 役所で働いていた当時、銀座と霞が関は目と鼻の先ほどの近さなのに、大変遠い存在でした。用もないのに、街を歩くなどという時間はありませんでした。でも、今は、週に数回、多いときは1日2回、銀座の街を歩いています。銀座を歩くと、心がなぜかウキウキします。銀座には不思議な街の力があると、歩くたびに感じています。

 この時期、夜の銀座はクリスマス・イルミネーションが彩り、華やかな雰囲気に包まれます。でも、今年はどこかイルミネーションの光が例年とは違うように感じます。東日本大震災で被災された東北の方々への鎮魂と復興を願い、静かに光を放っているように見えます。

 銀座中央通りと晴海通りには、翼をモチーフにした35体の光のオブジェ「希望の翼」が並んでいます。それぞれのオブジェの中心には、被災地の小学生が描いた絵が光の玉となって翼と一体化し、銀座の街から復興への確かな光を放っているようです。

 本来、12月は商戦としては非常に大事な時期です。例年なら、どこのお店も、いかに目立ち、にぎわいを作るかということに一生懸命になりますが、今年は少し違います。

 クリスマスツリーの飾りを買ってもらい、その売り上げを東北支援に充てる。私たち資生堂も含め、そんな取り組みをやっているお店もあります。東北の方のお気持ちを考えながら、いかにクリスマスの銀座の街を作るか。どのお店も、そんな思いで色々と工夫されています。

 そんな銀座の街に、資生堂が日本初の洋風調剤薬局として創業したのは1872(明治5)年のことです。創業者である福原有信の妻・徳は、「皆さんのおかげで銀座があり、銀座があるから資生堂がある」と言い、近隣の商店や銀座の街への感謝の念を深く持っていたと伝えられています。

 関東大震災、第2次世界大戦という大正・昭和で体験した大きな困難を、資生堂は銀座とともに乗り越えました。銀座に対する資生堂の特別の思いは、今日に至るまで継承されています。

 そもそも銀座煉瓦(れんが)街は、明治新政府の文明開化政策に従って開発され、そこに全国から集まった商人が各地の物産や新しい文物を持ち寄り、商いを始めた新興商店街でした。時代の変遷とともに、商店は入れ替わり、現在は、数々の老舗商店、デパート、海外ブランドショップ、ドラッグストア、ファストファッション店などが並び、多種多様でありながら街全体で調和を醸し出すといった、世界有数の繁華街となりました。

 それぞれの商店は、当然銀座の魅力に引かれて進出するのですが、銀座の側も新しいビジネスを受け入れることで常に鮮度を保ち、生き物のように進化してきたのです。常に変化を続けることで、結果として銀座の魅力は保たれてきたと思います。

●銀座の街の姿勢こそ、資生堂の目指す姿

 銀座は、資生堂にとって創業の地であり、世界に向けた情報発信の場でもあります。今年の正月、資生堂の新聞広告では、宣伝制作部の社員がアイシャドーやチークなど、たくさんの化粧品を積み上げて銀座の街を作り上げ、それを航空写真のように撮影しました。○印は中央通りの銀座7丁目と8丁目の境目にある交差点です。ここが創業の地であり、現在「東京銀座資生堂ビル」と「SHISEIDO THE GINZA(シセイドウ ザ ギンザ)」がある場所です。「東京銀座資生堂ビル」には現在、資生堂パーラー本店や「ミシュランガイド東京・横浜・湘南」から4年連続で一つ星をいただいているイタリアンレストラン「ファロ資生堂」が入っています。「SHISEIDO THE GINZA」は、化粧品やカウンセリング、フォトスタジオなどを通じ、資生堂が新しい生活文化を発信する場として、本年5月にオープンしました。

 企業は何のために存在するのか、これに対する答えが「企業ミッション」ですが、当社の企業ミッションは、「美しい生活文化の創造」です。このミッションを、銀座の街とともに世界や未来に向け、発信し続けたいという願いを広告上の赤い矢印で表現しています。

 資生堂は来年、創業140周年を迎えます。過去をそのまま伝承するのではなく、革新を続けることで伝統を作る。そんな銀座の街の姿勢こそが、資生堂の目指す姿でもあります。これからも資生堂は銀座の街から、限りない力をいただき、同時に資生堂も、新しい美や価値の提供を続けることで銀座に貢献できる。そのような「銀座と資生堂」の関係でありたいと願っています。

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