2012年2月22日10時08分
東日本大震災は、言葉のみで作られる詩の世界の地軸をも強く揺さぶった。詩人たちは、震災後の世界とどう対峙(たいじ)し、自らの仕事や役割をどう位置づけているのか。日本の現代詩を代表する吉増剛造と谷川俊太郎にいま「詩とは何か」を聞いた。
■吉増剛造 言葉を粉々に砕き、別の声を出す
昨年、岩手県陸前高田市を訪ねました。コンビニ店の青い看板、畳、年賀状が落ちている。ブルドーザーが大きな手でがれきを掻(か)き出していた。その時、それらは名付け得ぬものであり、撮影したり表現したりしてはいけないもの。ただ頭をさげなくてはいけない。そんな声が聞こえてきた。
普通に通用している言語では表現できないような深いことを経験されたから、つらくて口をつぐんでいる方は多い。テレビの映像や学者先生の言説を経由しては届いてこない声がある。
アイルランドの詩人イエーツは「詩作という行為の責任は夢の中で始まる」といった。津波に襲われて生還した学生の話を聞いたとき、僕も、責任を持って、長い時間をかけて、若い学生の声に夢の中でさわっていこうと思った。学生の部屋のちゃぶ台が学生に「一緒に逃げろ」とささやくさまが目に見える気がした。
ポール・ヴァレリーは詩を「音と意味のあいだでの逡巡(しゅんじゅん)」と名づけた。底深いところに音の精霊が潜んでいる。毎回、異なる光が寄せてくる。きらきらした甘い香りがすることもあるし、突然の不意打ちもある。精霊の細い声を僕が音にして、その音のそばに出てくる新しい意味を追いかけ、音と意味とを交錯させる。
そこにたどりつくまでに、絶望的な荒涼たる風景を何度もみて、地下世界を巡らないといけない。自分の言葉を粉々に打ち砕き、全く別の声を出す。難解といわれようと詩がやらないといけない仕事なんです。
■谷川俊太郎 言語以前のものに言葉で触れる
震災後も、普段のように詩を書いていく。今までの生活を地道に続けるのが大事だと思っています。高齢の僕は、被災地に行っても役に立たないので、もっぱらお金を出していました。
震災後の世界で、詩がそれほど役に立つとは思っていない。詩は無駄なもの、役立たずの言葉。書き始めた頃から言語を疑い、詩を疑ってきた。震災後、みんなが言葉を求めていると聞いて意外。僕の作品を読んだ人が力づけられたと聞くと、うれしいですが。
詩という言語のエネルギーは素粒子のそれのように微細。政治の力や経済の力と比べようがない。でも、素粒子がなければ、世界は成り立たない。詩を読んで人が心動かされるのは、言葉の持つ微少な力が繊細に働いているから。古典は長い年月をかけ、その微少な力で人間を変えてきた。
宇宙を含めた全存在は、人類が言語を生み出す何億年も前からあった。我々はその言語以前のものを体内にちゃんと持っている。赤ん坊も恐竜も自然も言語以前の世界。詩を作る欲求とは言語以前のものに言語で触れたい、ということ。
最初に浮かぶ2行は、完全に意識下から出てくる。それをパソコンのディスプレーで見てからは、読者と作者の立場を往復する。僕は詩でお金を稼いできた。でも、みんなが了解可能な叙情を出そうとはしていない。むしろ、微妙な毒やアンチを忍ばせてきた。だから、僕の詩はトイレには飾ってもらえない。(聞き手・赤田康和)
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震災後の世界に向けて、吉増さんら12人の詩人が自作の詩を朗読する「ことのは311」企画が23日、電子版「朝日新聞デジタル」で始まります(10人は書き下ろし作品、谷川さんら2人は既発表作)。朝日新聞紙面でも生活面と文化面で作品の抄録版を掲載します。22日付朝刊では特集記事も掲載します。