2012年2月9日03時00分
おしゃべりな記者は敬遠される。以前はそう教わったのに、これからは「つぶやく時代」になるという。朝日新聞は先月下旬、ツイッターで記者が情報発信する試みを始めた。毎日新聞も参入を表明するなど、消極的だった新聞業界に変化が見えてきた。
■会社通さず個人発信
この記事を書いている私も、現在18人いる「つぶやく記者」の一人だ。1月23日以降、ネットの投稿サイト「ツイッター」に、朝の「おはよう」に始まり、取材の様子や記事の解説、暮らしの断片を記してきた。
私の投稿を受けとる「フォロワー」は千人余り。「記者になろうと思ったのはなぜ」、「何で記者クラブって存在するんですか」などと質問も届く。
分かる範囲で、率直に答えることを心がけている。会社側の事前チェックはなく、時間帯もお任せ。7日は、米海兵隊の移駐先の案として浮上した米軍岩国基地について、かつて地元で取材した経験を記した。
ツイッターの利点は双方向性にある。米国のニューヨーク・タイムズは以前から、ネットに記者のアカウントを公開し、読者との対話を実践してきた。交流サイト(SNS)が拡大する中、新たな「情報の海」に記者がこぎ出し、人々とつながり、ニュースを探る。
半面、ネットには、情報の流出や失言に批判が殺到する「炎上」のリスクが潜む。紙面と同様に、情報源を漏らさないことや記事の公正性が求められるが、通常は原稿に目を通すデスクや校閲記者も、即時性が売りのツイッターには対応できない。
朝日新聞は、今回の試みを海外特派員ら中堅以上の記者に限った。ウイルス感染対策や、「誤った場合はすぐに訂正する」「会社の見解と個人の意見とを区別する」など心構えの研修も実施。橋本聡・編集担当補佐は「デジタル時代に即し、重層的な報道に取り組む実験。成功や失敗を検証し、ガイドラインにまとめて共有したい」と話す。
私の半月間のつぶやきは233回、1日平均15回に及ぶ。言葉づかいに迷い、近くの後輩に相談すると、「かたくならず、もっと大胆に」。雪崩事故の知らせで、慌ててつぶやきをやめて取材した時もあった。
フォロワーからは「記者の素顔を知りたい」という要望や、「新聞は真実をキャッチしきれているのか」という苦言も飛んでくる。
読者数は771万部の新聞と比べものにならないが、自分の言葉に即座に反応があるのは新鮮で、励みにもなる。今後は、事件などの現場から「生中継」も試みるつもりだ。
先週、見知らぬ男性から届いた助言は、ツイッターという空間について、こう評していた。「肩書を外して個人を出していく『鍛錬』の場ではないかな」 ちなみに私のアカウントは、氏名を、勉強中の中国語で読んだ「@xibenxiu」。職場で撮影した写真を、自己紹介用の「アイコン」に添えている。(西本秀)
■組織単位の活用主流
朝日新聞は従来、組織単位でツイッターを活用してきた。速報型の「朝日新聞ニュース」(フォロワー52万人)のほか、「社会部」「官邸クラブ」などのアカウントがあるが、情報の流れはほぼ一方通行だった。
ほかの報道機関も、組織単位が中心だ。言葉を商品とする業種だけに、記者個人の発言には慎重になっている。読売新聞は「インターネット上に許可なく業務情報を書き込むことを禁じたガイドラインがある」と説明する。ある新聞社は、記者が個人でツイッターを使う際に「プロフィルに社名や肩書を記さない」と定める。産経新聞は「報道倫理」を前提としたうえで「社員の良識」に任せているという。
NHKには、アナウンサーの名前を冠した公式アカウントがある。職員に対し個人利用の制限はないが、「職務上知りえた機密を漏らしてはならない」など、研修を通じてリスク意識徹底を図っている。
毎日新聞は個人利用の際は会社に届け出るよう定めてきた。だが、今月2日付の朝刊のコラムで、小川一(はじめ)・コンテンツ事業本部次長が「新聞はソーシャルメディアと協力する」と宣言。月内に東京本社の全社員を対象にツイッター研修を行い、積極活用するという。
■「炎上恐れず生身の声を」
朝日新聞の「記者ツイッター」の取り組みをどう見るか。自らもツイッターで発信しているジャーナリストの佐々木俊尚さんに聞いた。(アカウント @sasakitoshinao)
――「記者ツイッター」が登場する時代背景とはなんでしょう。
放射能リスクの評価や、環太平洋経済連携協定(TPP)への賛否、「ハシズム現象」など、人々や社会の価値観の分裂が鮮明になっている。かつてのように、新聞社などマスメディアが一方的に世論を集約できる時代は終わった。
受け手の関心に応じて、記者一人ひとりが専門を生かした「ミドルメディア」となり、読者と対話しながら判断材料を提供する時代になる。ツイッターなどSNSが変化を後押しするだろう。
――これまで新聞は、記者個人の意見が前面に出ることに慎重でした。
社論を無理に統一せず、記者ごとに意見が違ってもいい。むしろ、記者同士が議論し合って、その過程をネットで公開し、透明化するべきだ。私も新聞記者だったが、ブログやツイッターなどネットの文章と比べて、新聞記事は完成されていて「冷たい」印象があることに気付いた。議論したり、感想を述べ合ったり、コミュニケーションをする余地がない。人々が求めているのは、記者の生身の声なのに。
ただ、自分の言葉を求められる分、記者の責任は重くなる。新聞社も専門記者を積極的に育てなければならない。会社が前面に出なくても、記者個人それぞれにフォロワーが付けば、総体としての新聞社への評価は高まる。
――炎上トラブルの懸念はありませんか。
炎上は当然起きる。でも恐れる必要はない。やっているうちに使いこなし、批判への耐性もついてくる。新聞記者の発言にからみ、面白半分に騒ぐ人々もいるが、それが多数ではない。
多くは静かに記者のつぶやきを吟味し、そこに価値があれば支持してくれる。ネットの向こう側にいる人々を信じ、つながっていけば、対話を通じて情報も入ってくる。そこに、新しいジャーナリズムの可能性があるはずだ。