大阪、熊本、今回の新潟の三つの地裁の判決は、水俣病の救済策から取り残されたままの被害者が少なくない現実を明らかにした。裁判の原告は高齢で、判決を待たずに死亡する例が続く。政府は、被害者の求めにこたえ、ただちに救済協議に応じるべきだ。

 新潟県の阿賀野川でのメチル水銀汚染による「新潟水俣病」を巡り、新潟地裁がきのう、判決を言い渡した。

 流域で魚を食べて暮らし、手足のしびれなどに苦しむ原告47人のうち26人について、原因企業のレゾナック・ホールディングス(旧昭和電工)に賠償を命じる一方、すぐに規制措置を講じなかった国の責任は「健康被害を予見できなかった」として否定した。

 地裁は、公害健康被害補償法で救済済みの2人を除く45人について、患者がどうかを判断。状況や症状から6割近くを「蓋然(がいぜん)性が高い」と認めた。被告側は、原因となった行為から20年で賠償請求権が消えるとする民法の規定適用を求めたが、地裁は「本件で適用すれば著しく正義・公平の理念に反する」と退けた。

 新潟水俣病が公式確認されたのは1965年。九州の水俣病の確認から9年後で「第2水俣病」と呼ばれる。水俣病の調査と対策を急いでいれば被害を抑えられたのではないか。残念でならない。

 今回の原告は大阪、熊本裁判と同様、2009年にできた水俣病被害者救済法(特措法)での救済を受けられなかった人たちだ。原告全員を患者と認めた大阪、原告敗訴ながら一部を患者とした熊本に続く新潟地裁の判断は重い。

 水俣病の救済で、国は過去に2度「政治決着」をはかってきた。最初は1995年の一時金支給で、2回目が特措法に基づく対応だ。

 だが、その適用には生年や住所による線引きがあり、申請は2010年春から2年余の1回だけで打ち切られた。こうした制度や運用の欠陥に加え、周知不足や差別・偏見への恐れから申請すらできなかった人が少なくない。

 政府は司法の警告を真摯(しんし)に受け止めるべきだ。04年に行政の責任を確定させた最高裁が13年、ゆるやかな患者認定要件を示した際は、逆にハードルをあげる新基準を出した。こうした不誠実な対応を繰り返すことは許されない。

 東京を含む4地裁に提訴した1700人余の原告は、何よりも国との協議を求めている。国は、2度にわたり政治決着を掲げてきた、そのメンツから裁判にこだわるのではなく、いまだに救済を尽くせていない責任を直視せねばならない。