起業のススメ、困難の時代こそ 朝日教育会議

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 ■慶応義塾大×朝日新聞

 「学問のすゝめ」初編が1872(明治5)年に出版され、今年で150年。福沢諭吉が説いた独立自尊の精神は、現代にどう生きるのか。慶応義塾大学は「起業のススメ―『学問のすゝめ』150年に寄せて」と題して、朝日新聞社と朝日教育会議を共催。社会課題を解決できる起業家を輩出するために、何が必要なのかを考えた。【11月13日にインターネットで動画配信された】

 ■基調講演 勇力と学知ある「サムライ」必要 慶応義塾福沢研究センター所長・平野隆さん

 「学問のすゝめ」は17編まで刊行され、明治13年に一冊の本として出版されました。初版だけで偽版も含めて22万部がでたとされています。当時の日本の人口にあてはめて160人に1部ということになる、と福沢自身が算出しています。「学問のすゝめ」は、当時の青少年にむけて、新しい時代における生き方と、そのための学問の大切さを説いたものです。それとともに「起業のススメ」というメッセージもこめられていたと、私は考えます。

 福沢は「一身独立して、一国独立する」と書いています。国の独立を確かなものにするために、とりわけ福沢が重要であると思ったのが経済的独立でした。なぜならば経済的に独立せずに衣食住を誰かに頼っていれば、最終的には彼らの言うことを聞かなければならず、精神的な独立などはできないためです。

 この独立を支えるのが学問、実学ですが、明治になったばかりの日本には、まだ会社というものはほとんどありませんでした。ですから、資産を持たないものが経済的に独立するということは、起業することを意味したのです。

 福沢は当時の官尊民卑の風潮を打ち破って、民間の事業を起こすには、学問の知識だけではなく、勇力(ゆうりき)が必要だと考えました。今日の言葉で言えば「アントレプレナーシップ(起業家精神)」のことです。20世紀の経済学者、ヨゼフ・シュンぺーターによれば、アントレプレナーシップとは、単なる利益の追求ではない場合が多いとされます。たとえば創造する喜びであるとか、イノベーションの成功を成し遂げる意欲であるとか、あるいは宗教的信念の追究であったりする場合もある。

 では、福沢の門下生たちのアントレプレナーシップとはいったいなんであったのか。一言で言えば「サムライの精神」です。武勇を尊ぶことではなく、独立不羈(ふき)の気概と、自分個人の利益よりも公を思う公益心のことなんですね。「士流学者」という福沢の造語がありますが、これは公益心を持った知的エリートを意味しています。

 明治時代の公益とは、国の独立を確かなものにし、西洋との差を少しでも縮めることでした。今日の日本は福沢の時代のように、国が独立の危機に瀕(ひん)しているわけではありませんが、パンデミック気候変動、少子高齢化など、多くの困難に直面しています。このような時代にこそ、私利私益ではなく、公益の実現、すなわち喫緊の社会課題の解決を目指すビジネスの創出が求められている。そのために勇力と学知をあわせ持ったアントレプレナーシップ、福沢が言うところの、士流学者が必要とされているのではないでしょうか。

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 ひらの・たかし 1962年生まれ、兵庫県出身。慶応義塾大学商学部卒業、同大学院商学研究科博士課程単位取得退学。2005年商学部教授、21年福沢研究センター所長、慶応義塾史展示館館長。専門は、産業史・経営史。

 ■プレゼンテーション 育成・連携・資金の好循環を 慶応義塾常任理事・山岸広太郎さん

 学生や卒業生にとって、スタートアップ新興企業)が非常に身近な存在になってきています。就職人気ランキングでも、大企業志向から、だんだんとベンチャー志向の学生が増えてきています。日本は相対的に起業意欲がすごく低いと言われてきましたが、20代の起業意欲が高まってきている。さらに転職先をみたときにも、大企業からスタートアップに転職することが意識されるようになってきています。

 そうしたなかで、大学の研究者たちが立ち上げる大学発スタートアップには大きな潮流が三つあります。

 一つ目は、研究成果を使ったスタートアップの支援・育成といった、大学からの起業促進です。加えて、起業家精神をどうやって育んでいくかということに対しても、取り組みが進んでいます。

 二つ目は、大学同士の連携の強化です。具体的には、地域ごとに大学・企業・自治体が連携する、スタートアップ・エコシステムというものが全国的につくられています。

 三つ目は、資金の流れの加速です。大学発スタートアップがベンチャーキャピタルや金融機関などから調達した資金は、2013年に143億円だったのが、21年には1153億円、実に8倍になったという調べがあります。

 大学発スタートアップを育成して、そこが成功すると、大学に知的財産の対価が支払われたり、企業が大学と共同研究を行ったりすることがあります。創業者や会社から寄付金が入ってくることもある。これらの資金で、次の研究や支援体制の強化、教育プログラムなどに再投資することで、更に社会実装を実現させるような新しい技術ができるようになる。こういう循環をつくっていくことが大事だと思っています。

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 やまぎし・こうたろう 1976年生まれ、神奈川県出身。雑誌編集者などを経てグリー株式会社の創業に携わる。2015年、慶応義塾大学のベンチャーキャピタルである「慶応イノベーション・イニシアティブ」を設立、社長就任。21年から現職。

 ■プレゼンテーション 社会課題の解決、応援したい READYFOR代表取締役CEO・米良はるかさん

 大学院1年生のときに「READYFOR(レディーフォー)」という日本初のクラウドファンディングサービスを立ち上げて、今に至ります。約200人のメンバーで、資本市場ではお金が集まりにくい分野の活動を支援しています。例を挙げれば、ホームレス支援をするNPO、コロナ下の医療従事者のための基金、落語寄席の支援活動などに億単位のお金を集めることができました。様々なプロジェクトがあり、これまでに300億円ほどお金の流れをつくってきました。

 私は大学生当時、将来何をやっていくか全く思いつかず、就職活動の時期も、もやもやした日々を過ごしていました。大学院に進学した後、米スタンフォード大学を見学する機会を得ました。大学があるシリコンバレーは、グーグルやアップルなどが本拠を置くインターネット産業の聖地です。様々なビジネスをする人たちが「こんな社会をつくりたい」と目をキラキラさせて語るのを聞き、私も起業家になると決めた経緯がありました。

 お金の大切さを身をもって経験したことがあります。5年前に悪性リンパ腫という血液がんを患いました。今は元気にしていますが、もし希少性が高いリンパ腫だったら、と考えます。希少性が高いということは、患者数が少ないということ。市場が小さいので研究開発に投資が集まりません。市場の大きさで命を救う優先順位が変わってしまうことに、非常に苦しさを覚えました。経済合理性が低いために置き去りにされている社会課題はほかにもたくさんあります。

 課題をビジネスで解決したい、世の中を良くしたいという思いを持つ若い人がどんどん生まれています。そういう思いを社会が大切にし、応援することがとても重要だと思っています。

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 めら・はるか 1987年生まれ、東京都出身。2010年慶応義塾大学経済学部卒。11年3月にクラウドファンディングサービス「READYFOR」を開始。12年同大学院メディアデザイン研究科修士課程修了。「新しい資本主義実現会議」などの有識者構成員も務める。

 ■パネルディスカッション

 パネルディスカッションには、慶応義塾長の伊藤公平さん、慶応義塾大学医学部教授の岡野栄之さん、山岸広太郎さん、米良はるかさんの4人が登壇し、起業を身近にする大学の役割について話し合った。(進行は宮地ゆう・朝日新聞GLOBE副編集長)

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 ――岡野さんは研究者であり、起業家でもありますね。「大学発」だからこそできる起業とはどんなことでしょうか。

 岡野 論文をベースに特許出願をして、これまでに11社のベンチャー企業を発足させてきました。例えばALS(筋萎縮性側索硬化症)や脊髄(せきずい)損傷を治すことを目指す会社などです。

 研究室は、病気のメカニズムを解明し、どんな薬で治しうるかまではできます。しかし、それを実際の患者さんに投与し、販売することは絶対にできません。だから企業をつくり、社会実装することが必要になるのです。

 私はビジネスのことは全然分かりません。でも、慶応大のビジネススクールの人たちと話をすると、「じゃあ、私が会社やります」と言ってくれる。CFO(最高財務責任者)になってもらって、彼らの人脈で資金も集まる。人間交際(じんかんこうさい)というか人の輪は本当に大事で、大学のそんな良さを生かせていると思っています。

 ――起業してみて分かることとは、どんなものですか。

 山岸 私は一般企業で働いた後に起業したので、比較ができます。企業に最初に入ってよかったのは、その世間の水準から要求されるクオリティーのようなものが分かることです。コンプライアンス(法令や社会規範の順守)など、めちゃめちゃ細かい。そんな知識が、自分が会社を上場するときにすごく大事だと知りました。

 米良 大学時代に起業するって結構良いですよ。プラスしかありません。一般的に起業には「失敗したらどうしよう」という不安が大きいかもしれません。でも、大学は本当の意味でのリスクにさらされない場なのではないでしょうか。大学時代に考えつく色々なアイデアを実装し、ビジネス化する機会がもっと増えてほしいですね。たとえ失敗しても、むしろその挑戦心を面白いと受け止める人は多いし、自身が大人になって再チャレンジできます。

 岡野 起業するときの心情として大切なのは、とにかく限りなく高い目標を持つことと、目標達成のための最高のチームをつくることです。そして成功するためには、私たちの場合だと、圧倒的に盤石な基礎研究成果に裏付けられていること。次に、会社の「売り」を一言で言えること。さらに、自分自身が「生産ライン」を制御できていることです。

 ――起業と社会的使命、つまり利益を得ることと社会課題の解決とは一見別物のようにも思われています。これを両立させる仕組みとは。

 米良 若い世代であればあるほど、社会課題を解決することこそがクールであると感じていて、逆に、利益に生きている人には憧れない。それが当たり前になってきていると思います。私たちが毎日目にする苦しいニュースを前にして、「何か自分ができるんじゃないか」とパッションをもち、インターネットやSNSといったテクノロジーでつながり合う。今までの資本市場以外の手法で資金を得て、アイデアを形にし、事業化し、社会課題をどんどん解決していく。そんな時代になってきているのではないでしょうか。

 ――大学が目指すところとは何でしょうか。

 岡野 例えばMIT(米マサチューセッツ工科大)だと、世界のトップ・オブ・ザ・トップの天才が集まって、天才同士が助け合うんですよね。大学でやっている研究を中心に、それをどうやって社会実装するかを、社会全体で考えるエコシステムが出来上がっている。学生は論文を書くだけでは終わらず、知的財産権をとって起業に結びつけ、それが育ったときに大学に恩返しする。そんなポジティブ・サイクルがうまく回れば、日本もどんどん成長すると思います。

 伊藤 「学問のすゝめ」が出版された150年前の日本と、今の日本の状況は似ています。違いはお手本がないことですね。例えば私が量子コンピューターを専門として24年間研究してきた時代には、お手本はありませんでした。世界とつながって、助け合いながら研究を進めた結果、量子コンピューターができたんです。こうした助け合いに上手に参加できる人を育てることが、これからも大学がやっていくことです。

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 いとう・こうへい 1965年生まれ、兵庫県出身。慶応義塾大学理工学部計測工学科卒業。カリフォルニア大学バークリー校工学研究科修士課程および博士課程修了(Ph.D.)。専門は固体物理、量子コンピューターなど。日本学術会議会員を務める。

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 おかの・ひでゆき 1959年生まれ、東京都出身。ジョンズ・ホプキンス大学医学部研究員、大阪大学医学部教授などを経て2001年から慶応義塾大学医学部教授。21年から日本再生医療学会と日本神経化学会の理事長。09年紫綬褒章、21年上原賞。

 ■やり直せる土壌づくりに価値 会議を終えて

 福沢諭吉の「学問のすゝめ」を改めて読むと、この本がいかに先進的なものだったか、気づかされる。福沢の門下生たちがつくった当時の「スタートアップ」は、いまも日本の産業界を支える大企業として続いていることにも驚いた。

 それから150年。経済は停滞し、産業構造の転換やイノベーションが求められている。そんな時代に、大学が果たすべき役割はなにか。その答えの一つが「起業のススメ」だろう。

 大学にはあらゆる分野の専門家が集い、これから社会に出る世代が集まる場所でもある。そこで生み出される新たな研究や価値観が論文や発表に終わらず、社会実装までできれば、大学の場としての意味も大きく広がると感じた。

 一方で、なぜ大学が起業なのか、という疑問もあるだろう。事業化に直結しない研究の軽視などにつながらないよう、慎重さやバランスも必要になる。

 成功するスタートアップはごくわずかだ。でも、失敗の繰り返しの中に次のイノベーションの種がある。失敗に厳しい日本の社会で大学がその場所を提供し、やり直しができる土壌をつくり出せれば、価値はとても大きいと感じた。宮地ゆう

 <慶応義塾大学> 1858年、福沢諭吉が江戸に開いた蘭学(らんがく)塾が始まり。理念の一つである「自我作古(じがさっこ)」の下、新たな分野に挑戦する伝統が息づく。2015年に「慶応イノベーション・イニシアティブ」を設立し、22年にはスタートアップ支援部門を新設。大学発スタートアップ創出を通じて、教育・研究成果を社会に還元することを目指す。

 ■朝日教育会議2022

 8大学と朝日新聞社が協力し、社会が直面する様々な課題について考える連続フォーラムです。「教育の力で未来を切りひらく」をテーマに、来場者や視聴者と課題を共有し、解決策を模索しました。これまでに開催したフォーラムの概要や記事については、特設サイト(https://aef.asahi.com/2022/別ウインドウで開きます)をご覧下さい。すべてのフォーラムでインターネットによる動画配信を行いました。共催大学は次の通りです。慶応義塾大学、成蹊大学拓殖大学、千葉工業大学、東京理科大学、法政大学、名城大学、早稲田大学(50音順)

 ※本紙面は動画配信をもとに再構成しました。

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