(人生の贈りもの)わたしの半生 ジャーナリスト・評論家、立花隆:3 75歳=訂正・おわびあり

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 ■こびることは、生き方として恥だ

 ――1964年に文芸春秋に入社されましたね。

 兄は朝日新聞の記者で、彼に「新聞社はやめろ」と言われた。当時は署名が無いなど個性が出せなかったからでしょう。NHKと岩波書店入社試験で落ちた。岩波は最終の重役面接で文春について聞かれ、「あちらの方が面白そう」と答えた。

 ――ずいぶんと正直ですね。

 そう思ったのだから、しょうがない。クリスチャンの家庭に育ち、こびることは、生き方として恥だと教え込まれた。母に「肉体を殺すことが出来ても、魂を殺すことが出来ない者を恐れるな」とも教えられた。ローマの権力を恐れる弟子たちにイエスが述べた言葉で、世俗権力を恐れるな、神のみをおそれよということ。首相の田中角栄と長きにわたって対峙(たいじ)し、しばしば思い出した言葉だ。

 文春での配属は希望通りに週刊文春。下宿の大家が取っていて毎週、面白く読んでいた。後に社長になる池島信平専務が入社同期を前に「女と生活しているヤツがいるらしいな」と話したので、興信所に身元を調べられたのがわかった。当時、まさに僕は同棲(どうせい)をしていた。東大仏文科の学生は半分くらい同棲している噂(うわさ)があったが、実数は4分の1くらい。いずれは小説を書こうと、人生の体験を先取りしたかったのでは、ハハハ。

 ――2年半で退社されます。

 仕事で小沢昭一寺山修司らとつき合い、非常におもしろかった。そのころ「入社3日、3カ月、3年で辞めたくなる。3年で辞めるか、一生、文春か」と会社の先輩に問われ、賭(か)けをした。読みたい本も読めず、まったく興味がないプロ野球の取材を1週間させられたので辞めた。賭けに勝ち、先輩からは、当時出たばかりの分厚い平凡社の音楽事典をもらった。社内報に「ぼくが読みたい本を、真に読む必要があると思う本を避けているために、自分がまぎれもなく刻一刻精神的退廃の過程をたどっているにちがいない」などと「退社の弁」を書いた。

 ――東京大の哲学科に学士入学したのは、どうしてですか?

 僕は、人間とは、世界とは、存在とは、と考える基本的に哲学的人間。仏文科の卒論はメーヌ・ド・ビランというフランス革命期の哲学者が書いた「ヨハネ伝注解」の分析だった。哲学科に入学し知識欲に燃えていたから、ゼミではギリシャ語でプラトン、ラテン語でトマス・アキナス、フランス語でベルクソン、ドイツ語でヴィトゲンシュタインを読み、ヘブライ語の旧約聖書や漢文の荘子集註(しゅうちゅう)も輪読。勉強は徹夜の連続でした。

 ――当時、講談社の女性週刊誌「ヤングレディ」で記事をまとめるアンカーマンを務めたのは、どうしてですか?

 学費を稼ぐため。データマンには、芸能リポーターとして後に活躍する梨元勝さんや、ルポライターになる鎌田慧さんがいた。梨元さんは6年前、肺がんを公表したので連絡を取ると、治療について相談を受けた。急な死で残念だった。

 大学はストライキで休講が続いたのに大学が「授業料を払え」と言ってきた。「授業をやっていないのに授業料を払えるか」と怒って中退した。

 (聞き手・平出義明)=全15回

 <訂正して、おわびします>

 ▼6日付「人生の贈りもの わたしの半生」の「ジャーナリスト・評論家 立花隆(75)<3>」の記事で、「梨本勝さん」とあるのは「梨元勝さん」の誤りでした。確認が不十分でした。

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