戦後日本政治に「保守本流」という言葉がある。自民党の長期政権を支えた人脈と政策の系譜だ。それを体現した宮沢喜一元首相の40年間に及ぶ政治行動記録がこのたび見つかった。その宮沢氏の流れをくむ岸田文雄首相の政権運営は混迷を極める。両方の取材に携わる立場から保守本流を考える。
3月、東京都内での自民党大会。「幾多の困難、どんな時代も我々は立ち上がってきた」と敗戦や震災からの復興のイメージ映像が流れ、総裁の岸田氏が「(政権与党は)自民党でなければならない。だからこそ変わらなければならない」と語った。内政や外交の課題をどう克服していくかの理念よりも、とにかく裏金問題を乗り越えようとの思いがにじんだ。
保守本流は政策的には吉田路線として知られる。敗戦直後の占領期や1952年の主権回復前後の首相、吉田茂氏が歩んだ道だ。防衛力強化より経済復興を優先。新憲法のもとでの抑制的な防衛政策と、冷戦下で米国側につく日米安全保障体制を導いた。
55年、吉田氏らが率いた自由…