東京電力福島第一原発事故の影響で今も面積の半分が帰還困難区域になっている福島県大熊町を、米コロンビア大学国際公共政策大学院で学ぶ学生ら10人が3月10日に訪れた。巨大災害への備えや日本の原子力政策について、海外の若者は思いを巡らせていた。

 訪れたのは行政政策や開発学を学ぶインドネシアやコロンビア、アメリカ、インド、メキシコなどの学生たち。コロンビア大大学院に留学中の北川サイラさん(31)は日本で新聞記者の経験があり、原発周辺を研修で視察したことがある。「世界の人に原発事故後の福島の様子を見てもらいたい」と企画し、有志が参加した。

 震災の津波で妻と父、次女の3人を亡くした木村紀夫さん(58)が、帰還困難区域を案内した。次女汐凪(ゆうな)さん(当時7)の遺骨は2割程度しか見つかっていない。木村さんは捜索を続ける傍ら、2020年には一般社団法人「大熊未来塾」を設立。津波で全壊した、中間貯蔵施設内にある自宅の跡地や、同施設内を案内するツアーを続けている。

 学生らはまず、汐凪さんが通っていた町立熊町小学校(現在は閉校)を訪れた。木村さんは、父・王太朗(わたろう)さん(当時77)が海から離れた内陸部の小学校にいた汐凪さんを連れて、海沿いの自宅に戻る最中に津波に襲われたとみられると説明。「大きな災害が起きた場合にどうするか、家族など身近な人と常に話し合っておくことが必要」と呼びかけた。

 母国で高層マンションに住んでいるというメキシコ人のフリアス・アダリーさん(30)は「メキシコは地震が多い。どう避難するかは常に家族と話し合っており、続けていきたい」と答えた。

 学生らは津波被害を受けた熊川公民館や、木村さんの自宅跡地を訪れ、最後に、汐凪さんの遺骨の一部が見つかった現場へ。2016年には汐凪さんの首とあごの骨が、22年には右大腿(だいたい)骨が見つかっており、今も木村さんが捜索を続けている。

 木村さんは「自分も見落としていたが、ここは捜す場所が残っているから見つけることができた」と振り返った。その上で、被災3県では防潮堤の建設が進んでいることを紹介。「まだ行方不明者がいる可能性があるのに、防潮堤建設が進み、行方不明者を捜すこともできない遺族がいる。誰かの犠牲の上に成り立つ社会でいいのかをしっかり考えてほしい」と訴えた。

 米国人のメヒア・マリオさん(31)は、母国では戦没者遺骨の収容や身元特定にあたる機関が米国防総省に設置されているほか、非営利団体も国の代わりに遺骨を捜索、回収している事例を紹介した。マリオさんは「日本でも戦没者や震災被災者の遺骨を捜索するための独立機関を設立したり、政府と連携できる支援体制を整えたりすることが必要だ」と話した。

 この日は津波被害を受けたまま残る公民館や、原発事故の後、人が住まないまま朽ちていく家なども見て回った。視察を終え、インド人のアリヤナガム・アンジェリーさん(34)は「事故直後から時間が止まったような場所があることに驚いた。一方で日本では原発再稼働など『原発回帰』が進んでいると聞き、福島で見たこととの乖離(かいり)があるように思う」と振り返った。アダリーさんは「福島で得た学びと復興の歩みを多くの人に伝えていきたい」と語った。

 木村さんは「今回聞いた話を一つでも自分の国に持ち帰り、伝えてもらえたら、次の災害を減らすことができるのではないか」と話した。(関田航、滝口信之)