社会を変えたQRコードの「生みの親」を、愛知県の知多半島に訪ねた。原昌宏さん。連なる田畑を見下ろす工場の一角に通勤する、エンジニアだ。語り口はまっすぐで、日常にインターネットもスマホもなかった30年前の開発を「ローテクですから」。碁盤さながらの白黒の四角形から、どんな未来が広がりますか。

はら・まさひろ 1957年生まれ。80年、法政大学工学部卒業後に日本電装(現デンソー)に入り、識別コードと読み取り技術の開発一筋。現在はデンソーウェーブ主席技師として、QRコードの用途拡大などに携わる。

 ――QRコードはカメラで読み取るとネットにつながり、チケットや商品の管理などでも幅広く目にします。いま、世界でどのくらい使われていますか。

 「よく聞かれますが、わからなくて。『皆さんに使い方を考え、広めてもらおう』と特許を開放するところから出発したので、私の手の届かないところで使われたほうが逆にうれしい。何十億人が1日に何百億回使っても、不思議ではありません」

 ――「手の届かないところ」での、意外な使われ方とは?

 「韓国のスーパーが屋外に置いた、日の傾きのつくる影がQRコードになり、来店した時間だけ読み取れる日時計のような立体型クーポンは、びっくりに近かった。中国では、無数のドローンを使って空に表示をさせていました。想定外は、QRコード決済です。お金のことなので心配しましたが、不正対策も進み、むしろ中国で先に使われるようになりました。日本では中国人観光客が使えなくて不便だとなってから、徐々に認知されていったと感じます。私は一つのサービスに肩入れするのもどうかと思って使わずに、クレジットカード派ですけれど。先に進んで使い方が広がる海外に比べて、日本は用途開発が下手ですね。そして二層構造にしてプライバシー情報の読み取りに制限をつけるなど、新しいタイプのQRコードも開発していて、電子チケットなどの分野でも普及しています」

 ――そもそも、なぜQRコードの開発に至ったのですか。

 「入社した自動車部品メーカーでは1990年代初め、工場ラインでの製品の生産管理にバーコードを使っていました。ある日、現場の作業員から電話があって、『油で汚れるとうまく読み取れず、何回も繰り返すこともあって時間がかかる。どうにかしてほしい』と言われて。多品種・少量生産へ変わり始めたころで、扱うデータ量は増えていました」

 「私は80年の入社以来、同じバーコードでも、読み取り機の開発を他社向けにも手がけていました。日本のスーパーには『レジ打ち専門の人のほうが速い』と相手にされませんでしたが、店舗数が増え始めていたセブン―イレブンは『不慣れな店員に便利だから』と採用してくれたのです。レジでバーコードを読み取ると、どの商品がいつ、どの店で何個売れたかがわかる販売管理のPOSシステムはその後、流通業全体へと広がり、各社の品ぞろえの戦略を支えていきます。情報は、ビジネスや社会を変える可能性を秘めている。市場は広い。より多くの情報を扱える技術が重要となる時代が必ず来る、そう気づきました」

囲碁がヒント 出発は「手品みたい」

 ――92年、「世界一になるコードをつくらせてほしい」と上司に頼み、技術者2人で開発を始めました。

 「バーの幅という、横だけの1…

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