日本では、いつどこで大地震が起きるかわからない。能登半島地震の被害全容は今も明らかになっていない。首都直下地震は今後30年以内に70%の確率で起こるとされる。どうすれば被害を減らせるのか。都市部が襲われ、6434人が犠牲となった1995年の阪神・淡路大震災の遺族や消防士、専門家のメッセージを伝える。
ほんまににぎやかな5人家族でした。きょうだい3人、男ばっかり。
僕が当時小1の7歳。下が3歳と1歳。おもちゃの取り合いでようけんかしよった。
ヒロは3歳やけど、なんせ口が達者。商店街のたこやき屋さんに行ったら、「いつも兄がお世話になってます」って、母親そっくりにあいさつしよる。でも、泣き虫で、すぐすねる。
拡大する幼少時の柴田大輔さん(手前右)、母親のやす子さん、弟の宏亮(ひろあき)さん。宏亮さんは阪神・淡路大震災で3歳で亡くなった。この写真は、自宅の焼け跡から見つかった4枚のうちの1枚=遺族提供
あの地震の前日もね。おばあちゃんが来て、みんなで買い物に行ったんですよ。帰る時間になったらヒロが「帰るわ。ほんならな」っておばあちゃんの方に付いて行きよる。「おばあちゃんの家に泊まんねん」って言うて。おかんに「アホか。家帰るで」と怒られても、「行きたい、行きたい」って、なんせワンワン泣いとった。
僕がよく1人でおばあちゃんの家に泊まりに行ってたんで、うらやましかったんでしょうね。
おかんはいまだに後悔してるんですよ。「あの時、おばあちゃんの家に泊まらしといたら、助かっとったな」って言うてね。
1歳のトモは、ごっつい負けず嫌い。おもちゃの取り合いのけんかでヒロに負けたら、畳を思いっきりドンドンたたいて悔しがった。しまいには腹が立ったんでしょうね。ヒロが寝とう上に、そのおもちゃをバーンと投げよったんで。「1歳にしては怖いな」と思ってね。
当時うちは家族5人が同じ部屋で寝てました。
記事には、阪神・淡路大震災の遺族や消防士らの証言を元に、被災状況を再現した詳細な描写が含まれます。
震災の日は、僕がおやじと同じ…