ひとめぐり 足利市の桜井哲夫さん 「阿弥衆」を上梓

根岸敦生
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 【栃木】足利市の桜井哲夫さん(73)は今年1月、「阿弥衆」(平凡社)を上梓(じょうし)した。日本史の教科書には必ず出てくる「阿弥号」を名乗る人々と、一遍に始まる時宗の話をまとめた一冊だ。一般向けの一遍と時宗の本は3冊目になる。

 「一遍」「時宗」という言葉は知っていても、身近な存在ではない。全国に約7万7千ある寺院のうち、曹洞宗約1万4500、浄土真宗本願寺派約1万、真宗大谷派約8600、浄土宗約6900、日蓮宗約5100……。時宗は約400カ寺。明治初期の廃仏毀釈(きしゃく)で時宗の多くの寺が消えていった。

 東京経済大学で教壇に立ってきた。西欧の近現代史の思想を研究する社会学者として「『戦間期』の思想家たち」「可能性としての『戦後』」などの著作がある。現代日本の社会、文化についても研究し、「ことばを失った若者たち」、「手塚治虫――時代と切り結ぶ表現者」などを世に問うた。

 一方で、2002年から、1297(永仁5)年開基の時宗の寺・真教寺(足利市助戸3丁目)の44代目の住職を務める。「いつかは一遍上人と時宗の歴史を語る責任があると考えていた」という。

 11年の東日本大震災が節目になった。「死者のために黙していることはできない。自分の土台には時宗があると思った」という。「死者を弔い、生者を導くべく全国を遊行した一遍や時衆の過去を見つめ直すことは、現在の我々の未来の希望のためである」と。

 時宗は、民衆にとって常に身近な存在だったという。「阿弥号」も元々は一遍の廻国(かいこく)に従った人々の法名だった。半僧半俗、有髪妻帯で「鉦打(かねうち)」「聖(ひじり)」などとも呼ばれた。合戦の場では従軍して手当てをしたり、書状の使者を務めたり、死んだ人を回向したりする「陣僧(じんそう)」もいた。彼ら時宗の人々は人を弔い、回向する役割を担ってきた。

 阿弥号は能の「観阿弥」「世阿弥」や、将軍の間近に仕えた茶や立花、室礼(しつらい)など「能阿弥・芸阿弥・相阿弥」らの同朋(どうぼう)衆の名として定着し、江戸期には刀剣鑑定の本阿弥光悦、京料理の淵源(えんげん)の一つになった東山の料亭・左阿弥、明治期の歌舞伎狂言作家の河竹黙阿弥まで、文化や技能を担う称号の系譜は続いた。

 「子供のころ、相田みつをに習字を習っていた」そうだ。部屋には相田の手になる「なむあみだぶつ」と書かれた書があった。根岸敦生

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