第7回「会社の仕事より日中関係を選ぶ」 戦争を体験した岡崎嘉平太の信念

有料記事日中半世紀 わたしの声

聞き手・福田直之
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 1972年の日中国交正常化前後、両国の間で奔走した経済人の中心的存在が、全日本空輸(現ANAホールディングス)元社長の岡崎嘉平太氏でした。日中関係の「井戸を掘った人」と言われる岡崎氏を「先生のような人」と仰ぐのがANAHDの大橋洋治相談役(82)です。戦後断絶していた日中関係の構築に尽力した岡崎氏の思いを大橋氏に聞きました。

大橋洋治さん

1940年、旧満州(中国東北部)生まれ。慶大法卒。64年全日本空輸(現ANAホールディングス)入社、2001年社長、05年会長。08~12年、経団連副会長。テレビ東京ホールディングス社外取締役。

 ――日中国交正常化から50年が経ちます。

 72年は仕事が忙しくなりかけた頃でした。私は調達課にいましたが、本来予定していた納入時期がもっと先の「YS-11」を繰り上げて迎え入れたりしていた時期でした。本音を言えば、日中関係をやりたかったのですが、とてもできませんでした。

正常化、「唐突感はなかった」

 ――大橋さんは中国研究者として知られる慶大元学長の石川忠雄氏のもとで学びました。国交正常化をどのように感じましたか。

 唐突感はありませんでした。両国は民間ですでに貿易関係を築いていましたからね。ただ、国交正常化の結果、台湾を(政治的に)切らざるを得なくなったのは残念でした。

 ――国交正常化への道筋となる貿易関係をつくりあげたのが岡崎氏でした。

 私が大学の卒業論文にしたの…

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    坂尻信義
    (朝日新聞編集委員=国際政治)
    2022年8月31日18時52分 投稿
    【視点】

    日中関係では、よく「井戸を掘った人」と誰かを呼ぶことがあります。そのもとになっているのは、中国語の「飲水思源(水を飲むときは、その源に思いを致せ)」という故事成句です。ふだん、中国の人たちからこの言葉を聞くことはあまりありませんが、この言葉

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