第5回「権力の最盛期で最難関に挑む」 角栄は日中国交正常化を決断した
聞き手・福田直之
1972年9月、田中角栄首相(当時)が中国との国交正常化に踏み切った背景には、ニクソン米大統領(同)が長らく対立してきた中国訪問を突如発表し、次いで金とドルの兌換(だかん)を停止した二つの「ニクソン・ショック」による国際環境の大転換がありました。田中首相秘書官などを務めた弁護士の小長啓一氏(91)に、日中国交正常化に至る経緯を聞いてみました。
小長啓一さん
1930年生まれ。岡山大法文卒、53年通商産業省(現経済産業省)入省、84年通産事務次官。AOCホールディングス(現富士石油)社長などを経て、弁護士。田中角栄氏が通産相、首相の時に秘書官を務めた。
「米国に遅れてはいけないという思いが政財界に」
――正常化にはどのような背景がありましたか。
最大の要素は、ニクソン米大統領が訪中すると(1971年7月15日に)発表したことでした。日本は同盟国であったにもかかわらず、事前通告すらありませんでした。
それまで日中間では日本の財…
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