「俺、振り回され過ぎですよね? 出たいなんて思わない方が幸せだと思いますよ、本当に」
クシャッとした笑顔で、田原直哉は言った。
空中での回転技を競うフリースタイルスキー・男子エアリアルの国内第一人者だ。この冬で、41歳になる。
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「五輪」をめぐって、彼ほど起伏の激しい競技人生を送ってきたアスリートを、私は知らない。
元々は、体操のトップ選手だった。日体大にいたときにはナショナルチームにも選ばれた。
だが、2004年アテネ五輪の代表にあと一歩届かなかった。
次の五輪を見据えた矢先に右肩を痛め、06年に引退した。25歳だった。
この年に行われたトリノ冬季五輪。失意の中、テレビで偶然目にしたエアリアルが人生を動かした。
「これなら体操の感覚が生きるかも。五輪にだって行けるんじゃないか」
和歌山県出身。それまでスキーを滑ったことさえなかった。
どうにかして五輪に出たい。体育館でかなえられなかった夢を、雪上に求めた。
マイナー競技を取り巻く環境は厳しい。遠征費や用具代にあてるため、大学の卒業記念で買ったオメガの腕時計も、趣味の釣り道具も売り払った。
13年以降は所属企業もなく、アルバイトで食いつないだ。生活費を切り詰め、友人が持っている家に転がりこんだ。
18年、平昌五輪へ出た。競技を転向して12年。37歳になっていた。
ここで終わっていれば、物語はハッピーエンドだったかもしれない。
そんな結末は望まなかった。
思ってもいなかった感情に、出会ってしまったから。
「こんなにも、うれしくないんだって。出場することは、考えていたほど重要ではなかったのかもしれません」
19位。予選敗退が、悔しくてたまらなかった。
「最低限のことはできたかなと思うんです。ただ、70%の力でまとめにいってしまった」
心の底に、忘れられない記憶がある。
04年アテネ五輪。男子体操…
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