(23日、高校野球選手権大会 近江6-4大阪桐蔭)

大阪桐蔭 山本颯太選手

 先輩の野球ノートを、めくってみた。改めて、衝撃を受けた。「これが、大阪桐蔭なのか」と。

 地元大阪育ち。中学時代は、硬式野球チームの正捕手で、全国大会にも出場した。中学3年のとき、春夏連覇した大阪桐蔭に憧れ、「日本一の捕手に」と意気込んで同校に進んだ。ただ、周囲は全国から集まったつわものぞろい。見たこともないような大飛球が飛んでいくグラウンドで、厳しさを思い知った。

 大阪桐蔭では、多くの部員が野球ノートを記す。義務ではないし、提出も自由。先輩たちをまねて、入学した頃から書こうとした。気合は入るものの、何を書いていいかがわからない。練習内容と簡単な感想を書くだけで、5行で終わる日も多かった。

 そんなノートに、西谷浩一監督がたまに返信をくれた。「グラウンドで目立っていない」「結果が出ないのはなぜだろう」――。悩んでいた1年の秋。ノートを集める当番だった日、練習後の帰りのバスで、ひざに抱えた先輩のノートをそっと開いた。

 きれいな字がびっしり並んでいた。打席に入った時の心境、打ったコースを1球1球振り返り、言葉で説明できないことは図にして、復習もできるようにしてあった。「ノートは自分のために書くもの」と教わった意味が、わかった気がした。

 その後、なかなか試合での出番は増えなかった。主な役割はブルペン捕手。その日々を懸命につづった。

 20~30分かけて、1ページにぎっしり。好投できた投手がいたら、その要因を考えてみた。ブルペンの様子からマウンドに上がるまでの準備を、振り返るように記した。甲子園行きを決めたこの夏、ノートは13冊目に突入していた。

 大阪大会では背番号14をつけて投手陣を支えたが、甲子園はベンチを外れた。チームも2回戦で敗れ、目標だった日本一を逃した。

 「今までよくやってきたな」。野球ノートのことを思いだし、そう思えた。自分にとって、高校野球そのものだった。

 野球は大学でも続ける。悩むこともあるかもしれない。そんなとき、野球ノートがきっと道しるべになってくれる。そう信じている。(高岡佐也子