数万年前から継承されてきたが、約90年前に話す人が誰もいなくなった。オーストラリアで、そんな先住民(アボリジナルピープル)の言語を復活させる努力が続いている。いったいどうやって? 現場を訪ねた。(アデレード=小暮哲夫)
残された復活のカギ
豪南部アデレード。先住民たちが学ぶ「タウンディ・アボリジナル・カレッジ」で5月26日夜、「ガーナ語」のクラスが始まった。ガーナは、この地域に暮らしてきた先住民集団の名前だ。
「まず、自己紹介をしよう」。講師のアデレード大のロブ・アメリー准教授(67)が切り出した。
「ナイ・ナリ・マーク。ナイ・ヤートブルティンガ・ヤトゥアピ……」
(私の名前はマークです。ポート・アデレードで育ちました……)
すらすらと口にしたのはマーク・オブライエンさん(52)だ。「自分たちの言語を学べて幸運だ。ロブたちのおかげだ」と話す。
アメリーさんに文章を添削してもらっていたのは、ゾーイ・ボニーさん(35)。豪州では行事のあいさつで、その土地の先住民への感謝を述べることが多いが、それをガーナ語でやりたいという。
生徒たち10人の手元にはテキストがある。言語学者のアメリーさんらが20年以上かけて作ってきた。
アデレードで英国人らが入植を始めたのは1830年代。数百人いたと言われるガーナの人たちは、ほかの地域の先住民たちと同じように土地を追われ、居留地に住むことを強制された。自分たちの言語で話すことも禁じられ、ガーナ語は衰退していった。
自由に住む場所を決められるようになったのは1960年代のことだ。先住民文化の復興の動きが出てきた89年、アメリーさんが、ガーナの人たちと言語を復活する試みを始めた。
だが、この時点で話す人がい…
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