呑竜横丁 昭和レトロの雰囲気残しつつ、新しい風を

編集委員・小泉信一
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 【群馬】夜風に赤ちょうちんが揺れる。前橋市の中心街にある長屋横丁「呑竜(どんりゅう)マーケット」。昭和レトロの雰囲気を色濃く残す空間で、「前橋のゴールデン街」とも呼ばれたが、経営者の高齢化などが進み、1軒また1軒と閉店に追い込まれた。だが「酒場は文化。ここを残しておきたい」と有志が協同組合を昨秋に結成。「新生・呑竜横丁」として復活の道を歩み始めた。(編集委員・小泉信一

 「ここは前橋の戦後復興を見守ってきた場所。経済人や言論人も酒を酌み交わし、議論を交わしてきたのです」。3月31日夜、アーケード内のちょうちんに明かりをともす点灯式が開かれ、山本龍市長はこうあいさつした。「人情が息づいている」と語る。式典には横山勝彦・市議会議長や植木修・前橋中心商店街協同組合理事長らも駆けつけ、祝辞を述べた。

 呑竜仲店協同組合(黒岩千春理事長)によると、老朽化した屋根を、外光が入るように葺(ふ)き替え、壁も洗浄した。だが昭和レトロの雰囲気を壊さないために、外観はほぼ現状のままにした。ちょうちんは300個近く。大きな竜のイラストも壁に描かれた。

 同組合によると、1947(昭和22)年、市の戦後復興計画に基づき、大蓮寺の敷地に復員者たちの雇用を守るためにオープンした。焼け野原が広がっていた市街地の復興のシンボルだった。広さ645平方メートル。木造2階建ての住居兼店舗の共同施設で、飲食店や雑貨、総菜、青果、衣料品店など35軒が並んだ。寺に残る竜伝説にちなみ、いつしか「呑竜マーケット」と呼ばれるようになった。

 81年冬、大火に見舞われマーケットはほぼ全焼。2年後、店舗数21軒と規模を縮小しつつ、営業を再開し、取り壊しの危機は回避できたかに思われたが90年代、バブルが崩壊。社用族など客足は遠のいた。安価な居酒屋チェーンの台頭などもあり、店は減り続け、現在、営業しているのは、4~6坪ほどの7店舗だけだ。

 「でも異次元にタイムスリップしたような路地裏の雰囲気を人工的につくることはできない。レトロな雰囲気を残しつつ、新しい風を吹きこみ、活気ある横丁を復活させたい」

 協同組合理事で広報を担当する吉田貴行さん(39)はそう語る。今後は様々な催事を通じて横丁をPR。若い人でも低予算で開業ができるように、支援策も講じていきたいとしている。

     ◇

 三十数年前、私は横丁の常連だった。近くに午前1時まで営業している銭湯があり、汗を流してから小料理屋やスナックを訪ねた。新聞記者になったばかりのころである。仕事がうまくいかないときや、他社に記事を抜かれたときなどは、やけ酒をあおったときもあった。店のママは笑顔で「人生いろいろあるわよ」と一言励ましてくれた。

 時代は昭和から平成に、平成から令和に変わった。だが酒場にはその土地ならではの「風土性」がある。人生の重みや苦みが、浮遊物質のようになってカウンターや壁にしみついているのが酒場だ。常連との出会いや語らいを通し、生きる喜びを学ぶ。世の無常やはかなさを知ることもある。

 東京から前橋に引っ越した3月下旬、横丁の老舗スナックに焼酎のボトルを入れた。しみじみ昔を思いながらグラスを傾ける。「ゲニウス・ロキ」というラテン語が浮かんだ。「地霊」という意味があり、転じてその土地に宿る歴史や雰囲気を表す。そこに住む人たちの運命をも司(つかさど)るそうだ。

 私がこの横丁に再びやってきたのも、前橋のゲニウス・ロキに招かれたのだろうか。そんな不思議な感覚に陥ってしまうのも、横丁の魅力なのだろう。(編集委員・小泉信一

酒場詩人・吉田類さん

 詩人の萩原朔太郎が好きで、前橋市内のゆかりの地を歩いたことがあります。広瀬川の近くに路地裏がありました。あそこが「呑竜横丁」だったのですね。小さな建物と建物の間を縫うように路地が走り、それが空間に独特のリズムを持たせているようでした。

 飲み屋横丁は単に酔っ払うだけの場所ではありません。魅力的な店主と客が織りなす文化的空間です。ユーモアと機知に富む会話が繰り広げられ、温かな人情が愚痴も不平も包み込んでくれるのです。いまは人と人が密接に長時間集まることは難しいですが、コロナが落ち着いたら僕も駆けつけ、群馬の人たちと杯を交わしたいですね。

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