王さんが見た東京五輪 55本塁打の年、「魔女」に刺激

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聞き手・藤木健 菅沼遼
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 前回の東京五輪があった1964年、日本のプロ野球で55本塁打の記録が生まれた。選手として伸び盛りだった王貞治さん(79)は、バレー女子の「東洋の魔女」などに刺激を受け、誰にも負けない振り込みを誓った。前人未到の通算868本塁打を放って「世界の王」となった現役の引退後は、監督として、ダイエー(現ソフトバンク)で日本一になり、2006年の第1回ワールド・ベースボール・クラシックWBC)では日本を優勝に導いた。現ソフトバンク球団会長。再び東京で開かれる五輪への思いなどを聞いた。

 ――1964年は、9月6日に前年、野村克也さん(南海)が作ったシーズン52本塁打に並ぶと、同じ試合で53本のプロ野球新記録(当時)。くしくも翌日、五輪の聖火リレーが沖縄で始まった。結局、自己最多の55本塁打でした。

 「24歳になり、練習で無理もきくし、一番ぐっと伸びて、ホームランを打てた。そんな時期に五輪で世界のトップアスリートを見て、『上には上がいる』『世界にはすごい人たちがいる』と実感できた」

 「新聞社の企画でいろんな競技を観戦した。水泳、陸上、それに『東洋の魔女』も。例えば陸上1万メートルは、まさに格闘技だとわかった。追い抜こう、追い抜かれまいと、体をぶつけ合う。きれいに走るだけじゃない。男子100メートル決勝で、金メダルを獲得したボブ・ヘイズ(米国)の走りも自分の目で見た」

 東京五輪でいろいろな競技を観戦した王さん。「誰にも負けないように」という思いから、荒川コーチと練習。翌年からの9年連続日本一につながりました。また、WBCやホークスについて語りました。

 ――野球は五輪で行われてい…

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