災害考古学 第6部

 福島県白河市のJR東北線白河駅の北約200メートル。小高い丘陵の上に、市のシンボルで、立派な石垣が築かれた小峰城跡(こみねじょうあと)(国史跡)がある。南北朝時代の14世紀に築かれ、室町時代に白河結城氏の本城となったとされる。江戸時代初め、丹羽長重が幕府の命を受けて大改修を行い、強固な石垣を巡らせた。松平や本多など7家21代の居城となり、寛政の改革で知られる松平定信(1758~1829)も住んだ。1868年の戊辰(ぼしん)戦争の戦いで焼け落ちたが、近世城郭の名残をとどめていた石垣は残った。

 その石垣も、2011年3月に起きた東日本大震災の震度6強の揺れには耐えきれず、本丸の南面など9カ所で崩れ落ちた。10年8月の史跡指定からまだ7カ月。市文化財課によれば、崩れなかった場所でも石組みが緩むなどの被害が相次ぎ、さらに震度5強の余震で、もう1カ所でも石垣が崩れた。被害は全長2キロのうち約160メートル、面積約1500平方メートルに及んだ。

 震災の9カ月後、市は石垣の修理に乗り出した。被災した7千個の石一つひとつに番号をつけ、1個ずつ前後左右上下の6方向から写真を撮り、被害状況を正確に記録した「カルテ」をつくった。

 石の撤去とカルテづくりだけで…

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