アンシンシテ…戦地から223通、父が最期に記した思い

有料記事空襲1945

編集委員・大久保真紀
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 223通のはがきがある。戦地のビルマ(現ミャンマー)から、稲田真紀子さん(79)=千葉県流山市=の父が送ったものだ。小さな文字で繰り返し、妻子を案じる言葉がつづられている。75年以上が経って茶色く変色した軍事郵便に、真紀子さんは、戦死した父の面影を探す。

 マコチャン ゲンキデスカ。ボウヤ チャント ナカヨクシテイマスカ。ゴハンヲタクサンタベテ ツヨイツヨイヨイコニナッテクダサイ。オトウチャンハ ヨワイコハダイキライデスカラ マコチャンハ ツヨイ カシコイ ヨイコニナッテクダサイ(1943年6月25日付)

 幼い真紀子さんが読めるようにとカタカナで書かれている。真紀子さんと弟の征治さんあてのはがきは66通、母や近所にあてたものと合わせると父がつづったのは計223通になる。

 父の高橋修己(しゅうみ)さんは、大阪で車などのナンバープレートをつくる会社を経営していた。応召したとき、真紀子さんは2歳前、弟は母のおなかの中にいた。

 其の後、眞子は元気か、赤ん…

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空襲1945

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