象徴天皇と戦争放棄は不可分 敗戦からの憲法1条と9条

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編集委員・国分高史 松下秀雄
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 第2次世界大戦に敗れ、新しい体制のもとで国際社会への復帰を果たした日本、ドイツイタリアの憲法には、それぞれの歴史を背負った特徴的な条文がある。象徴天皇制戦争放棄人間の尊厳、社会権。それらは戦後の国づくりや外交の中で根幹的な理念となった。戦後70年あまりを経たいま、日本の1条と9条をとりまく環境を改めて考える。

 1947年5月3日に施行された日本国憲法の最大の特徴は、1条の象徴天皇制と9条の戦争放棄だ。二つの条項は不可分の一対として生まれた。天皇制を残しても、「天皇の軍隊」による軍国主義の復活にはつながらないと、国際社会を納得させる必要があったからだ。

 45年8月の敗戦後、日本に進駐してきた連合国軍総司令部(GHQ)の意向を受け、政府は憲法問題調査委員会をつくって明治憲法改正の検討に着手。ポツダム宣言の受諾によって日本軍は武装解除されたが、委員会は軍に関する規定を憲法から削るべきか、将来の再軍備に備えて残すべきかで論争を続けていた。

 一方、日本政府から明治憲法の微修正程度の案しか出てこないとみた最高司令官マッカーサーは46年2月3日、マッカーサー・ノートと呼ばれる改憲の原則を部下に示した。天皇制の維持▽戦争放棄▽封建制の廃止の3項目で、GHQはこれに沿って改正案づくりに着手した。

 連合国の中には、昭和天皇東京裁判にかけて戦争責任を追及すべきだとの声があった。だがマッカーサーは、天皇なしでの円滑な占領統治はあり得ないと判断。日本が二度と戦争を起こさないことを明確にするため戦争放棄を盛り込んだ。

 2月13日にGHQ案を示された日本政府内には当初、天皇が統治権の総攬(そうらん)者から「象徴」となることへの強い抵抗があった。だが、マッカーサーは21日の幣原喜重郎首相(当時)との会談で「これにより天皇の地位も確保できるし、主権在民と戦争放棄は交付案(GHQ案)の眼目であり、特に戦争放棄は日本が将来世界における道徳的指導者となる規定である」と発言。政府は象徴天皇制と戦争放棄は拒否できないとみて、GHQ案の受け入れを決めた。

 憲法制定過程に詳しい憲政史家の古関彰一さんは、昭和天皇が終戦直後の9月4日の帝国議会開院式で「平和国家を確立して人類の文化に寄与せむ」との勅語を出したことなどから、「天皇制の維持と平和の推進が一対であることに最も早く気づいていたのは実は昭和天皇だと思う。マッカーサーの狙いと昭和天皇の考えは一致していた」と語る。「1条と9条は、天皇制を維持するかしないのかという非常に深刻な選択の末に生まれてきた。そのことが日本人の間であまり知られなくなったのは残念だ」

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