【動画】1970年の大阪万博と2025年の万博誘致について語る京都大学iPS細胞研究所長の山中伸弥教授=井手さゆり撮影

 1970年の大阪万博は子どもたちの未来に大きな影響を与えた。世界で初めてiPS細胞を作製し、ノーベル医学生理学賞を受賞した山中伸弥教授(55)も、その一人だ。世紀を超えて、2025年に再び大阪で万博が開かれるかもしれない。開催地が決まるまで残り5カ月。山中教授に万博への思いを聞いた。(聞き手・佐藤恵子)

 70年の大阪万博の時は8歳でした。

 大阪府東大阪市の町工場で育ち、父親に連れて行ってもらったと思います。「太陽の塔」は覚えていますよ。「月の石」はすっごい混んでいました。「未来」という感じがうれしかったのと、とにかく人が多くてびっくりしたことを覚えています。

 中学生のころは科学者になりたかったので、万博ですり込まれたというか、ものすごく影響があったんだと思います。その後は医者をめざして臨床に進みましたが、基礎医学に移って、今は科学者です。

 あれから50年。世の中、ずいぶん変わりましたよね。当時の日本は戦後まだ25年で、人口が増えて科学技術も日進月歩。さまざまな技術の展示によって、バラ色の未来を先取りさせてくれたのが70年万博だったのではないでしょうか。

 でも、25年万博は違う。日本…

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