(ナガサキノート)悲しきまでの空の青さよ…平和願う歌

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田中瞳子・24歳
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六田正英さん(1932年生まれ)

 「『被爆体験やご意見をお寄せ下さい』との記事がありましたので、ご参考までにとりあえず私にかかわる関係資料のみお送りいたします。何かお役に立てるようでしたらご連絡ください」

 2016年12月、朝日新聞長崎総局に一通の手紙が届いた。送り主は長崎県大村市の六田正英(ろくたまさひで)さん(84)。旧制瓊浦(けいほ)中学1年の時に船蔵町(現・宝町)の自宅で被爆した。「年齢もまもなく85になる。ここで自分の体験を話しておく責任があるのではないかと思って」。六田さんは手紙を送った理由をそう話した。

 県内の中学、高校で国語の教師や教頭、校長を務めた六田さんは、今も大村看護高等専修学校で国語の非常勤講師として教壇に立つ。

 《被爆時の影は映さず長崎の悲しきまでの空の青さよ》

 72年前のあの日のことを忘れたかのようにあまりにも美しい長崎の空――。平和への思いを趣味の短歌に静かに詠んできた。

 六田さんは長崎市で6人きょうだいの3番目として生まれた。「小中学校は、楽しい思い出はあまりないね」。いつもはきはきと話す六田さんは、戦争の時代を思い出すときだけは目をつぶり、言葉を一つひとつ選びながら話す。

 銭座国民学校(現・銭座小)…

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