「毒母」に支配され続けた日々 みとりを決断したけれど

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鳥居りんこさん:2

 エッセイストの鳥居りんこさんに、今年3月に母親が亡くなるまでの日々を語っていただいた連載の2回目です。

     ◇

 「延命治療にしますか? それとも、みとりますか?」

 私は医師に問われ、決断を迫られました。

 医師によると、このままみとる場合は残り2週間、病院で治療を受けるなら残りは約3カ月。しかし、病院に行ったら点滴とミトンをつけられ、縛られて拘束ベルト。認知症は進み、元の暮らしには戻れないでしょう、とも。

 嚥下(えんげ)がうまくいかなくなる終末期は溺れているのと同じような状態になるそうです。苦しいのに、息を吸えない。病院で治療をすると、そんな状態が3カ月続くかもしれません。

 母はもともとリビングウィルに加入していて、老人ホームに対しても、「胃ろうは断固拒否」という姿勢を明確に示していました。それを知る姉からは「一切何もしなくていい」と言われ、老人ホームの施設長は「キーパーソンのあなたが決めなさい」。

 悩んだ末に、このままみとろうと決めました。

 その頃の母は、まだまだ普通に話せて、とても元気に見えました。訪ねてきたひ孫をあやして、一緒に写真を撮って喜ぶ母に、「みとりに入りましたけど、いいですか?」とは聞けず……。残り3週間ほどの命とは、そのときは信じられませんでした。

「お前が悪い」

 私の母は「毒母」でした。幼いころから私は母に支配され、思い出すのは、母の怒っている顔や機嫌が悪い顔ばかり。

 対外的には明るくて親切な母…

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