(ナガサキノート)墓に守られた命「自分も胎内被爆者」

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山野健太郎・36歳
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三角紘容さん(1946年生まれ)

 長崎市大浦天主堂近くに「祈りの三角ゾーン」と呼ばれる一帯がある。教会と寺と神社が半径50メートルほどの範囲に並ぶ。多彩な文化が混在する、長崎ならではの光景だ。三角紘容(みすみこうよう)さん(71)は、その一画にある妙行(みょうぎょう)寺の17代目住職。江戸時代の初頭に創建された寺も、原爆の記憶を抱えている。

 爆心地から約4・4キロ南にある妙行寺。あの日、屋根瓦が飛ばされ、柱が傾いた。被爆翌年の1月に生まれた三角さんが物心ついたころにも、寺はまだ雨漏りしていた。三角さんは母の武子(たけこ)さんのおなかの中で被爆した「胎内被爆者」。身重だった母は寺の墓に隠れて原爆の爆風を逃れ、三角さんを守った。

 原爆そのものを知るわけではない。それでも原爆を伝えていくために何かしないといけないとの思いを持ち続けてきた。僧侶として平和を祈り、垣根を越えて宗教指導者が集まる長崎県宗教者懇話会の活動に関わる。核廃絶を求める署名を集めて国連に届ける高校生平和大使の活動も応援するようになった。

 爆心地から4キロ南に離れた大浦地区も、原爆とは無縁ではなかった。三角さんは武子さんから当時のことを聞いた。寺の本尊は本堂の外まで飛ばされたという。父の和夫(かずお)さんは陸軍に召集され、母が寺を守っていた。

 8月9日。三角さんを身ごもった武子さんは妊娠6カ月だった。空襲警報を聞き、境内の大きな墓にとっさに隠れた。前もって決めていたのか、本堂にいた母は毛布か何かを一つ取ると墓に逃げ込んだ。ピカッとした光を見て高さ1メートルほどの石の扉を閉じると、爆風が襲った。扉が開きかけたというが、難を逃れた。この石の扉が母と三角さんの命を救った。「爆風がすごかった。爆弾が墓の前に落ちたと思った」と語っていたという。

 長崎港を見下ろす高台に立つ…

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