夏目漱石「吾輩は猫である」166

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 「第三にと……迷亭? あれはふざけ廻るのを天職のように心得ている。全く陽性の気狂に相違ない。第四はと……金田の妻君。あの毒悪な根性は全く常識をはずれている。純然たる気じるしに極ってる。第五は金田君の番だ。金田君には御目に懸った事はないが、先ずあの細君を恭(うやうや)しくおっ立てて、琴瑟(きんしつ)調和しているところを見ると非凡の人間と見立てて差支あるまい。非凡は気狂の異名であるから、先ずこれも同類にして置いて構わない。それからと、――まだあるある。落雲館の諸君子だ、年齢からいうとまだ芽生えだが、躁狂(そうきょう)の点においては一世を空しゅうするに足る天晴(あっぱれ)な豪のものである。こう数え立てて見ると大抵のものは同類のようである。案外心丈夫になって来た。ことによると社会はみんな気狂の寄り合かも知れない。気狂が集合して鎬(しのぎ)を削ってつかみ合い、いがみ合い、罵り合い、奪い合って、その全体が団体として細胞のように崩れたり、持ち上ったり、持ち上ったり、崩れたりして暮して行くのを社会というのではないかしらん。その中で多少理窟がわかって、分別のある奴はかえって邪魔になるから、瘋癲院というものを作って、ここへ押し込めて出られないようにするのではないかしらん。すると瘋癲院に幽閉されているものは普通の人で、院外にあばれているものはかえって気狂である。気狂も孤立している間はどこまでも気狂にされてしまうが、団体となって勢力が出ると、健全の人間になってしまうのかも知れない。大きな気狂が金力や威力を濫用(らんよう)して多くの小気狂を使役して乱暴を働いて、人から立派な男だといわれている例は少なくない。何が何だか分らなくなった」

 以上は主人が当夜煢々(けいけい)たる孤燈の下(もと)で沈思熟慮した時の心的作用をありのままに描き出したものである。彼の頭脳の不透明なる事はここにも著るしくあらわれている。彼はカイゼルに似た八字髯を蓄うるにもかかわらず狂人と常人の差別さえなし得ぬ位の凡倉(ぼんくら)である。のみならず彼は折角この問題を提供して自己の思索力に訴えながら、遂に何らの結論に達せずしてやめてしまった。何事によらず彼れは徹底的に考える脳力のない男である。彼の結論の茫漠(ぼうばく)として、彼の鼻孔から迸出(ほうしゅつ)する朝日の烟(けむり)の如く、捕捉しがたきは、彼の議論における唯一の特色として記憶すべき事実である。

 吾輩は猫である。猫のくせに…

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