原爆文学、被害伝え続け 吉永小百合さん「初心忘れず」

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後藤洋平
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 広島、長崎に原爆が投下されて70年。犠牲者や被爆者の苦しみ、生き方を描いた小説や詩などの原爆文学はこの間、数多く出版され、その思いや被害の実態を伝え続けてきました。

 「ちちをかえせ ははをかえせ」の「序」で始まる広島の詩人、峠三吉の「原爆詩集」。1951年の初版を模した復刻本を今年6月、市民団体「広島文学資料保全の会」が出版した。峠は爆心地から約3キロで被爆。傷ついた被爆者の肉体の描写や、直情的な言葉で怒りや悲しみを表現した。同会の池田正彦さんは「峠ほど、原爆被害を受けた理不尽さを真っすぐに表現した作家はいない。今を生きる人々にも改めて読んでもらいたい」と話す。

 長崎の俳人、松尾あつゆきの「原爆句抄」(72年)も今年、復刊。1発の原子爆弾によって妻と3人の子を殺された松尾は、視界に入ったものを淡々と句にすることで強く訴えかける。出版した書肆侃侃房(しょしかんかんぼう)の田島安江さんは「素晴らしい本なのに絶版で入手できなかった。70年を機に復刊しようと以前から考えていた」。

被爆者も著名作家も

 広島で被爆した小説家、大田洋子は45年8月30日付の朝日新聞に原爆の体験記を寄稿し、48年に「屍(しかばね)の街」を出版した。峠や松尾、大田のほか小説家の原民喜、医学博士で随筆家永井隆、詩人の栗原貞子らは自身が被爆している。

 「黒い雨」の井伏鱒二、「ヒロシマ・ノート」の大江健三郎、戯曲「父と暮せば」の井上ひさしら、被爆体験のない著名な作家も関連作品を発表している。前衛俳人の金子兜太(とうた)も日本銀行に勤務していた時代、赴任先の長崎で被爆者に向き合った句を作った。

 青来有一(せいらいゆういち)のペンネームで活動する芥川賞作家で、原爆を題材に「爆心」などの作品を書き続ける長崎原爆資料館の中村明俊館長は言う。「広く知られていないものでも非常に完成度の高い作品が多い。生涯続く被爆の苦しみ、被爆2世の不安などを読み物として伝えていく価値は、とても大きい」

記憶の継承

 若い世代への記憶の継承という点でも文学作品の役割は重要だ。

 吉永小百合さんは、NHKのドラマ「夢千代日記」で母親の胎内で被爆した女性を演じた後、被爆者から「イベントで原爆詩の朗読をしてほしい」と依頼された。「峠三吉などは知っていたが、それがきっかけで栗原さんの詩など素晴らしい作品に多数出会い、小中高生にも広く聴いてほしいと思って、ずっと朗読を続けている」という。

 被爆70年の今年、広島文学資料保全の会と広島市は、峠の「原爆詩集」の最終稿と、原が被爆直後の広島の状況を書き留めた手帳、栗原の創作ノートを、ユネスコ国連教育科学文化機関)の世界記憶遺産への登録を目指して日本ユネスコ国内委員会に申請した。原の手帳は後に小説「夏の花」を執筆する際の元資料になったもので、栗原のノートには被爆直後のビルの地下室で赤子が生まれる様子を題材にした「生ましめんかな」が直筆でつづられている。

 広島と長崎では「戦後70年」より、「被爆70年」という表現の方が圧倒的に多く使われる。投下直後に「今後70年は草木も生えない」と言われた被爆地を描いた原爆文学。本を開けば、私たちの耳に叫びが飛び込んでくる。後藤洋平

吉永さんに聞く

 原爆詩を朗読することで強いメッセージをもらい、私自身も勉強になっています。心がけているのは、初めて読んだ時の気持ちを忘れずに聞き手に伝えようということです。

 原爆文学はたくさんありますが、映画「母と暮せば」(12月12日公開、松竹)も、原爆を題材にした作品。広島を舞台にした「父と暮せば」を執筆した井上ひさしさんは、長崎原爆をテーマにした作品も書きたかったといいます。その遺志を山田洋次監督が受け、脚本を手がけたオマージュです。原爆で死んだはずの息子(二宮和也)が、私が演じる母の前に突然現れて会話を重ねてゆきます。

 作中、息子の婚約者だった女性に結婚相手ができ、新しい命が誕生します。「僕たち原爆で死んだみんなの願いだ」と言う二宮さんのセリフに心打たれました。原爆で犠牲になられた方や、苦しむ方がいることを忘れてはならないと思います。

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