京大から初のプロ、田中投手「受験直前まで成績伸びた」

聞き手・広部憲太郎
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京大野球部・田中英祐さん

 兵庫・白陵高3年の夏に兵庫大会で負けた翌日、試験勉強がほとんどできず、期末試験で赤点を取ってしまいました。科目は、たしか古典です。これは本格的に勉強に切り替えなければと痛感しました。

 高校では午前8時半から授業が始まって、終わるのが午後4時くらい。4時半ごろから野球の練習をして、6時には終わりました。僕は理系のクラスにいましたが、生徒が150人ほどいて、僕の成績は40位か50位くらいでした。

 その頃、野球で生きていこうとは全く思っていなかった。もちろん真剣でしたが、あくまで部活の一環。「将来はいいところに就職していい暮らしができたら」と現実的に考えていました。僕は今、京大工学部の化学専攻ですが、エンジニアの父から「ちゃんと勉強はしておけよ。これからは化学が経済でも大切になる」とも言われました。

学校の授業を中心に

 3年生の夏に負けて引退してからキャッチボールもしていません。授業の後、学校で午後7時ごろまで勉強。そして、フードコートや図書館で午後10時ごろまで勉強をしていました。睡眠はきちんと7時間ほど取り、朝も少し早く学校で勉強するくらいでした。

 僕はずっと学校の授業で学ぶのが中心でした。授業に付いていけた分野は理解が進むけど、そうじゃない教科の点数は良くなかった。予備校や通信教育もほとんど利用していません。結果論かもしれませんが、授業中に予備校などの勉強を掛け持ちして注意されるのも時間がもったいないし、僕より成績上位の人たちは授業をちゃんと聞いていた。そういう人についていきたいという気持ちがありました。

 周りの同級生はすごかった。自分たちで問題を作って解きあったり、教えあったり。僕も分からないところを成績上位の友達に聞いていました。そんな環境がすごく良かった。

 僕は受験までの半年、息切れしなかった。早く受験勉強を始めても、絶対しんどくなって、どこかで落ちてくる。特に僕らの学年の野球部は、受験勉強の最終盤で伸びた人が多かったと言われました。

 野球に打ち込んだことが、受験の不利にはならないと思う。野球をやりながら1時間でも時間を見つけて勉強して、引退して受験モードに切り替えるならプラスになります。野球をやっていたことは受験が終わった後も生きてくる。野球部と受験の両立に悩んでいる人でも、最後まで野球を続けてほしいな、と僕は思います。

「僕の生きる価値がある」

 京大工学部に現役合格してアメフット、ラクロス、ボートなどにも誘われました。野球部に入ろうと思ったのは、練習会に参加した時、同学年の選手に「絶対にお前がおったら勝てる」と言われたからでした。

 1、2年生は午後3時~6時の全体練習に出て、自主練習を午後9時ごろまで。2年生では居酒屋でアルバイトもしていました。

 3年生になると、週3日は実験があって火水木は全体練習にほとんど出られませんでした。だから、2年生の冬くらいから、体づくりで走りこみの量を増やしたり、調整の仕方も変えたりしました。研究も野球もやっているからこそ、両方を周り以上に頑張る心づもりでした。

 僕は研究と野球を別物で考えていて、野球をしている人のノリが好きでした。同じ空気感を持ち、内定してもプロ野球という選択肢も残してもらえる企業に就職活動もして、大手商社から内定も頂きました。

 3年秋の立命大戦で延長21回を無失点で抑えましたが、プロ野球を意識したのは今春以降です。一般企業への就職とどちらがやりたいかと言えば、やっぱり野球。京大からプロ野球に行った選手はいません。勉強も野球も頑張りたいという人たちが、自分を見てプロに入ったり学生野球や研究に打ち込んだりしてくれたら、僕の生きている価値があると思ったのです。

 勉強に取り組んだことで、野球でも自分のフォームなどを論理的な思考で見られるようになったと思います。千葉ロッテから指名され、これから厳しい世界に入ります。どんな打者にも強い気持ちを持って、色々な方に応援して頂ける選手になりたいです。

     ◇

 たなか・えいすけ 兵庫県高砂市出身。京大工学部4年。小学校で軟式野球を始めた。白陵高での公式戦勝利は1勝。関西学生リーグで京大最多の8勝。14年秋、ロッテからドラフト2位指名され、京大初のプロ野球選手に。22歳。(聞き手・広部憲太郎)

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